450 曽野綾子のいじめ浅考1
11/26付産経新聞朝刊一面4段抜きコラム「小さな親切、大きなお世話」に作家・曽野綾子氏の原稿が掲載された。「いじめ対処 親が教えよ」というタイトルだったので、読んでみたが、その浅い考えに憤りを感じたので書きます。かりにもプロのモノ書きが全国紙の一面でこのようなナイーブで命にかかわる問題にミスリードは許されない。この作家の浅考を検証します。
(長文になりますので、以下は本文の引用と安藤の注釈で構成します)
何回も繰り返される悲だが、群馬県桐生市の小学6年生の自殺した女児の父は、学校側にいじめを知りつつ放置した責任がある、と言い、学校側はいじめがあったことは認めつつも、自殺との因果関係は「明確には認められない」との「あいまいな態度に終始した」という。(引用)
(安藤注釈・以下は安釈=ここまでは事件のおさらい)
この学校では、1学期の終わりごろから「担任教諭がコントロールできない学級崩壊が続いていた」そうで、担任教師の無能、学校側の指導力の不足、同級生の親たちの心遣いの貧しさが図らずも浮かびあがった。(引用)
(教師の無能、指導力不足は今さら指摘されなくても誰でもわかる。それは桐生の学校に限らず、どこの学校でもままあることだ。問題はなぜ教師が無能になったのか、という根源に言及しなければ、いじめ問題は根絶できない。何もこの事件の担任だけが無能なわけではない。何故、学校が指導力不足で隠ぺい体質なのか、同様に根源を問わねば個人攻撃で終わり、それこそ活字によるいじめではないか。浅い・・・。当ブログ「いじめ根絶不可能国=11/24 NO439」を参照してください)
こういう問題は外部の者は決して実情の細部を知ることはできないから、この問題を契機に私たちは一般論を考える他はないのだが、私はいじめが自殺の原因と見なすことはできない、と思う。(引用)
(安釈=書いてはいけないことを書いてしまいましたね。「いじめが自殺の原因と見なすことはできない」。遺族の方が読まれたらどう思うでしょうか?民主党のアホ大臣さながらの失言です。作者の真意がいじめを肯定しているわけではないことは、後の文章を読めばわかりますが、プロの書き手としては完全に配慮を欠いた表現です。しかも遺族の目に触れる公共媒体での掲載です。ここは「いじめが自殺の原因のすべてと見なすことはできない」と書くべきでしょう。実際にいじめがなけれな少女が自殺することはなかったのですから。これは明らかに事実誤認という浅はかかつ事実を無視した言論ですね。さらに「外部の者は決して実情の細部を知ることはできないから」と書いていますが、これは完全に掲載紙の産経記者を含むすべての新聞記者、ジャーナリストを見下した見識ですね。少なくとも少女が命を落とした。そして連鎖自殺も続き、この社会現象は今にはじまったことではありません。子供たちが命を賭して残したメッセージは「いじめの根絶」と「対処方」です。そのために懸命に闘う多くの記者、ジャーナリストたちが居ます。彼らにも同世代の子供がいたりして、明日は我が身、もしかしたら自分の子供のクラスでも・・・という思いを馳せながら、根絶のために細部に近付こうとしています。この作家は、そんな思いをたった一行で踏みにじっています。さらに「一般論を考える他ないのだが」と冒頭で自ら浅考を暴露しています。どうして全国紙の一面を大きく割いて「一般論」を語る必要があるのかな。おばさんの「一般論」ならカルチャースクールで、おっさんのそれなら新橋の立ち飲み屋でやってくれよ。そんな著者からの親切なメッセージも信じないで、最後まで読んでしまった自分にも「喝!」だ)
(当然つづく)