少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

576 明治の「14」番

上海の日本レストラン「G」の進退は、家賃の値下げ交渉にほぼ絞られたので、一旦、保留にしたい。
その間、懐かしい人に出逢った。ふらっと立ち寄った上海の日本料理店「O」。外から見たら「南海」と「阪神」のユニフォームが飾られていたので、覗いてみた。すると外から見えない位置に明大ラグビー部の紫紺のジャージ、背番号「14」が額に入れられ飾られていた。
L字カウンターにぎっしり12〜13人の客が詰めていて、新参客の僕に注目が集まった。
「え〜T之内君、ここに来てるの〜?」
「おお、毎日のように来とるで〜。っていうか、さっきまでここにおったわ。ここ、あんたが座る席に・・・」
「ええ、マジですか?上海に来ているのは知ってたけど、ここに来ているとは・・・?」
「なんや、あんたTの知り合いかいな?」
「まあ、知り合いといえばそうですけど、好きな選手なんですよね」
「ほなら、電話したろか、まだそのへんにおるやろ」
結局、その日は連絡が取れなかった。それが3月11日。僕は「O」の店内の日本語放送のテレビで他の客たちと、東北関東大地震の映像を、まるで映画のワンシーンのように驚愕しながら見ていた。
T君は明大ラグビー部が何度かあった黄金時代のキャプテン。報徳学園出身でポジションはBK。スクラムハーフ以外は全ポジションをこなし、1年生の時から明早戦に出場したスター選手だ。しかし、口数は多くない。寡黙なタイプだ。この時代の明治は本当に強かった。
僕は店主からT君の携帯番号を聞き、後日かけた。
「もちろん覚えていますよ。安藤さん、今、上海に居らっしゃるんですか?どちらに居るんですか?」
そんなやりとりがあって、災害から一週間後の3月18日、金曜日、何年かぶりに「G」で再会した。
「いや〜、僕のこと、安藤さん、いっぱい書いてくれましたからね」
東京中日スポーツをはじめ、ラグビーワールド、ナンバーなどにも掲載したと思う。実に印象深い選手だったからだ。東京でもわずかだが、一緒に飲んだことがある。当時のこと、卒業後のこと、現在のこと、いろいろ話を聞かせてくれた。
昨3月19日、土曜日には安城北中学3年G組の同級生のF原君が「G」に来てくれた。西尾高校から静岡大学に進学し、東証一部上場企業に就職し、在上海8カ月。クラス会では必ず顔を出すメンバーなので、彼が上海に居るこも知っていた。今回が上海で2度目だ。ここには書けないが、いろいろなことを話した。彼は上海に残りたいのだが、本社から帰国司令が出そうで、いろいろ考えているとのこと。旧知が居ることは僕にとってもありがたいので、なんとか頑張って上海に残ってもらいたい。