少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

609 ps中国1

ps(post script=追伸、あとがき、ニュース後の解説)
今回の中国90日間(僕のビザの最長連続滞在日数)は過去最悪だった。90年代、北京、上海、杭州、香港、台湾の都市を複数回訪れた。シカゴの大学時代からの友人であり仕事上の上司だった中国人医師のJ・周の招待だったので、すべてがVIP待遇だったせいもあるだろう、中国の魅力に圧倒された。
例えば入国時の税関は並ばずに裏口から、出国時も同様に骨董品の持ち出し検査(当時は100年前の骨董品は国外持ち出し禁止)を受けることなく出国。移動は警察の覆面車両で一方通行の逆行はサイレンを回してどこでも自由自在、食事はオール接待で高級中華料理の個室、ひとりにひとりずつ女給さんがつく、夜の接待は軍経営のナイトクラブ、軍関係者が一番綺麗な女の子を僕らのテーブルに回してくれる、宿泊はヒルトン、シャングリラなど5つ星、ただ数時間寝るだけなのに、なんとももったいない、香港ではメゾネットタイプのスイートルームを用意されたが泊まるのはJと僕の男二人、逆に寂しい気分を味わった。上海でのモーニングビュッフェでは見たこともないフォーションの可愛い小瓶入りのジャム、マーマレード、ブルーベリージャムが並べられ、いくつかポケットに忍ばせたのを思い出す。北京のサウナでは少年隊のような少年がパンツまで脱がせてくれ、僕はただ案内されるまま館内を移動するだけで、入浴、垢すり、マッサージ、耳そうじ、飲食を済ませ、うたた寝から目覚めると、また少年隊がパンツをはかせてくれた。北京からの帰国便がキャンセル(正確にはダブルブッキング)された時など、違う便の犯罪者輸送席というのを警察が確保してくれ、無事帰国できた。さすがにその時は、俺は何様?と思いました。飛行機代を含め骨董品の購入以外はすべてが接待。
それから、わずか10年ちょっと、20年弱。具体的にビジネスとして画策したのは建築用竹製の床材の輸入、日本アニメの中国への売買、中国での邦人向けクリニックの設立、古物雑貨の輸入の4つ。2002年からは腎臓移植のコーディネート。特別な成功もないが、大きな失敗も金銭的な損失もなかった。中国には大きな魅力と可能性しか感じなかった。(つづく)