652 週末雑記
単なる週末の個人的な行動です。オチはありません。お忙しい方はスル―でお願いします。
20日(金)、朝7時から、近所の独居おばあさんの引っ越しのための荷物の片付けを有料で手伝う。午後、神田で経済セミナーに出席、資産運用のノウハウを勉強。丸の内線で南大塚に移動。徒歩で雑司ヶ谷墓地に行き、祖先の墓参り。さらに徒歩で豊島区民センターで新しいビジネス、イ―・ラーニングのレクチャ―を午後7時から2時間。今回で3回目だが、これはモノになると確信。すごい教育改革だと完全にわかった。小中学生の世界偏差値が、今年、アジアでは韓国が昨年の4位から一気に1位に飛躍したが、それは教科書を一掃し、すべてパソコンによる授業に切り替えたからだ。一見、無謀というか、信じられない話だが、事実だ。ちなみに日本の偏差値はアジア23国中17位。残念ながらこれも事実。そのメカニズムは、今度詳しく書くとします。池袋のお気に入りの回転寿司「若貴」で10皿喰い、国電で帰宅。
21日(土)、朝7時からおばあさんの手伝い。午前は執筆活動。午後、ビジネス仲間のK路さんが、犬を2匹連れて来訪。ミニチュアダックスのロングヘアと、珍しいバセットハウンド。僕はかつてJUNブランドのバセットウオ―カ―が好きで、よく買っていたけど、廃版になってしまった。シャンプーの売り込みに来たのだが、仕事の話はそこそこでほとんど、犬たちと遊ぶ。午後3時4分のバスで渋谷に出て、国電で大井町へ。4時から、件の気功治療。
6時過ぎ、大井町の松屋で牛丼並盛240円を食す。「牛丼はどこがいいか?」という論争になった時、松屋はみそ汁が無料でついてくるという点で非常にポイントが高い。だが、松屋、吉野家、すき家が3つ並んでいたら、どこの店に入るかというのは永遠の課題になりそうだ。ちなみに、コンビニならばローソン、ファミリーマート、セブンイレブンの順と決まっているが、牛丼に関してのランク付けは実に難しい。
その後、大井町の駅付近のパチンコ屋の壁の隙間に糸を垂らして怪しい行動をしているお爺さんを見かけた。一度は通り過ぎたものの、どうしても気になり引き返して覗いてみた。するとお爺さんは棒の先に糸で磁石をつるして、隙間に落ちたパチンコ玉を拾っていた。僕は蛭子ヨシカズの漫画で、そんな人間を見たことはあったが、実物を見たのは生まれてはじめてだった。ちょうど、パチンコ店の店先に玉が一個落ちていたので、僕はそれを拾い、それを隙間に放り込んであげた。するとお爺さんはムッとした表情で僕を睨んだ。
さらに駅に向かうと紳士服の青山が開店記念セールをしていた。山本寛斎デザインのワイシャツを1枚100円で売り出していたが、誰も買おうとしていなかった。ただ店頭では他店から応援に来たのだろう、粋のいい社員が「いらっしゃいませ」の大合唱で風船を配っていた。そして、道を挟んだトイメンでは、量販店の勢いに押しつぶされた、創業68年の大衆衣料品販売のセキグチが、その歴史に幕を閉じる。ご愛顧を込めた「閉店感謝売りつくしセール」で年配の店員たちが、地元の人々に丁寧に頭を垂れていた。これも時代の流れ、宇宙の法則。資本力の乏しいものが淘汰されていく諸行の無情、嗚呼・・・。
そんな栄枯盛衰の光景に、やり切れない僕は、飲み放題唄い放題で3000円の場末のスナックに入る。僕は、徳永さん、平井さん、コブクロさんを切なく唄う。ただひたすら唄う。そして中国人のママは感動して気絶する(これはウソ)。
僕は大井町から東急バスで渋谷に向かう。唄いすぎてバスを一本逃してしまった。おかげで、渋谷から我が家に向かう最終バスは10時ちょうど、ああ、5分の差で間に合わず、結局、京王井の頭線で池の上から歩いて帰宅。
だから渋谷駅の路上で「広島・長崎の被爆者のために平和の祈りを込めた千羽鶴を折ってください」と呼び止められ、生まれて初めて鶴を折る。されど、これがなかなか難しくうまく折れない。めちゃくちゃ時間がかかった。高校を卒業してアメリカに行く時、同級生の「虎くん」という目つきの鋭い強面の男子が、「これ、オレがつくったんだけど、もらってくれよ」とかなり繊細に折られた千羽鶴を僕にくれた。まさか、こんなに手間暇かかるものだとは知らなかった。そして、その鶴に込められたメッセージが何だったのかは、今も謎である。
21日(日)。朝7時、おばあさんのお手伝い。朝食のパンを食べ、9時半に成城学園のN社長宅へ。頼んでいた薬を取りに行き、一時間ほど歓談。
そのあと、新横浜の「霊波之光」へ行きお祈り。毎日12時に東北地方の復興を願い、信者が全員で一斉に祈りを捧げる。コンビニで握り飯を買い、食す。その後、新横浜からのぞみ号で品川に移動。車中、酒に酔って寝ていたアントニオ・猪木さんと遭遇。猪木さんと遭遇するのはこれで4度目だ。一度目は僕が小学校3年の時の西尾市体育館で開催された新春ワールドシリーズの第5戦。二度目は23歳の時、僕が飼っていたハツカネズミに指を噛まれ、訪れた両国の同愛記念病院のロビーで。三度目は僕が29歳の時、東京ドームで行われたマイク・タイソンの世界タイトル戦の時。そして今回が4度目、51歳の時だ。西尾市体育館ではリングに向かう猪木さんの腰をどさくさに紛れて「頑張れよ」と言ってタッチしたのが僕、彼は覚えていてくれただろうか?東京ドームでは同じ回転ドアから何人か同時に、猪木さんと一緒に入ったうちの一人が僕だが、彼の記憶に残っているだろうか?そんなことを思いながら、ぐったりしたペリカンアゴを眺めていた。
午後4時、品川のビジネスセンターで、新しいパートナーのN瀬氏と打ち合わせ。N瀬氏は23日〜6/6まで、ベトナム、インドネシアへ出張。海外の難病患者の支援のプロジェクトを立ち上げる。
品川から帰宅途中、渋谷でバス待ちの間、東急プラザの地下で半額になった売れ残りの惣菜を買う。午後9時に伸助の「法律相談事務所」で気の毒な芸人さんたちを見て、少し元気を出す。(おしまい)