少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

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僕の大切な人の誕生日(7月22日)を過ぎて、少数派日記が「722回」を迎えたということは、もう一度書けということなのでしょう。

〔注〜ナンバーリングの誤記につき、2019/5/10にナンバーを変更しました〕

本日は「冨士大石寺顕正会」という宗教の活動をされている女性から、本をいただきました。僕はすでに「霊波之光」の信者なので他宗教の信者になることはありませんが、この宗教の教えには同感する部分が多々あるので、時折、お会いして話を聞いております。
本日、いただいた本の中から抜粋します。顕正会の基となるのは仏教です。
「此の雪山童子(お釈迦様のこと)をもはれけるは、つらつら世間を観ずるに、生死無常の理(ことわり)なれば生ずる者は必ず死す。されば憂き世の中のあだにはかなき事、たとえば電光の如く、朝露の日に向かいて消ゆるに似たり。風の前の灯の消えやすく、芭蕉の葉の破れやすきに異ならず。人皆此の無常を遁れ(逃れ)ず、終(つい)に一度は黄泉(よみじ)の旅に趣(おもむ)くべし」(「松野殿御返事」を拝し奉るより)
まあ、生ある者は必ず死を迎えるという、当たり前のことですが、その生の時間をどう生き、そしてどう死ぬか、いつ死ぬかということが、生を受けた者の課題みたいなものだと僕は、そう思っています。
あの娘が生きていれば今年の誕生日で42歳。でも、33歳の時、病気で亡くなりました。その当時、僕とはもう交際が無かったので、数年後、僕は別の形で彼女の訃報を知りました。彼女の御命日に山形の御実家を訪ね、御両親とお墓にお参りしました。270年続く武家の墓で、お墓に施錠まで掛けられた名士の出です。彼女のために、真新しく建てられた墓には、僕が想像していたより、うんと短い戒名で、それがやけに悲しくて涙が止まりませんでした。
「この娘は、本当はここのお墓に入っちゃいけないんですよ。親より先に死ぬ。子供が絶対にしてはいけないことを、この娘はしてしまったんですよ」とお父さんが言っていた。
彼女は僕と散歩することがすごく好きだった。綺麗な文字でたくさんの手紙をくれた。待ち合わせすると、僕がどんなに遅れても必ず待っていた。「ねえ、一緒に住もうか」と彼女の方から言ってきた。まだまだ書けないことがたくさんある。何処かで誰かと幸せに暮らしているとばかり思っていた。
いただいた本の中にこんな個所を見つけた。
「或(ある)いは老少不定(ふじょう)の境(きょう)なれば、老いたるは先立ち若きは留まる、是は順次の道理なり、歎(なげ)きの中にもせめて思いなぐさむ方も有りぬべし。老いたるは留まり若きは先立つ、されば恨みの至って恨めしきは幼くして親に先立つ子、歎きの至って歎かしきは老いて子を先立つる親なり」
人生のはかなさ、悲しさには「生死無常」に加えて親より先に子が死ぬという「老少不定」があるということです。
死にたくて死んだわけじゃないのに、どうしてこうなるのだろう。今から思うと、僕は彼女の願いを、ほとんど叶えてあげることができなかった。僕が生きているうちに、誰かタイムマシンを造ってくれないかな。どんなに不便な時代でもいいから、彼女がいた時間に戻りたい。
もし、彼女が何処かで暮らしているなら、僕にとっては彼女はきっと小さな存在。でも、彼女が居ない今となっては、僕の身体のほとんどを支配する存在になっている。
昨年7月、彼女のお父様も亡くなった。天国でちゃんと会えたのかな。僕が気にしてもしょうがないこと。でも、毎日毎日、そんなことばかり考えている。