少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

702 死を喜ぶ輩

「有名人が死んだらバンザイして喜べ」と教えられたのは、僕が最初に就職したスポーツ新聞社のベテランデスク(M大出のA氏)。
この書き方だと誤解を生むので、もう少し正確に書こう。
「不謹慎なことではあるが、新聞社としては、これで明日の一面ができる。有名人の死を願っているわけではないが、新聞記者として、そう思うことも必要なんだ」と。入社1カ月目くらいのことだったかな。
まあ、デスクも悪気ではないし、記者としてのノウハウを教えたつもりなんだろうけど、こちとらは今でも納得できないね、もう取材できなくなるし、ホント、アフォかと思う発想。
ただ、そうなるとバカみたいに新聞は売れるから、需要と供給の関係で行くと、デスクの言うことは、ある意味、真実だから、それはそれでもの悲しい部分もある。「他人の不幸は蜜の味」と言うとんでもない発想だ。だが、ここはまだいい。問題は中途入社した夕刊紙だ。ここの連中は酷かった。
今でも忘れん、あの日のことは。
それは取材で幾度となくお世話になったヤクルトを引退された大杉勝男さんが癌で亡くなられ、信濃町での葬儀に参列した日のこと。僕が喪服姿で帰社すると、葬式帰りの僕を見た通称バカ坂というバカな記者がいて、そのバカが「こんなこと言うのなんだけど、次(に死ぬの)は(広島の)津田の番だよ」と言い放った。
当時、津田恒美投手は悪性脳腫瘍という不治の病で生死の境を彷徨って闘病中だった。同じひとつのくくりの中でメシを食うスポーツ選手に対して何ということを言うのだろうか。同業者として恥ずかしい。
僕は問答無用で、そいつに蹴りを入れてやろうかと思ったが、次の瞬間、周囲にいた記者連中がどっと大爆笑した。
僕はあきれてモノも言えず、その瞬間、こんな奴らと一緒に仕事は出来ねえと思ったね。で、結局、数年後に僕が辞めました。
この連中と来たら、お世話になった評論家の方々の葬儀告別式には一切顔を出さない。社員の葬儀には顔を出すが、同じ会社でも正社員ではない人の葬儀には顔を出さない、アルバイトの人の訃報は気づかない、というレベルの人たちが、僕のいた運動部には多数おられました。まさかと思われるかも知れませんが事実です。
今回の松田選手、伊良部投手の訃報を聞くにつけ、そんな嫌な思い出が浮かんできます。そんな輩がのうのうと偉そうにスポーツ記事などを書く姿が、今でも続いているなら許しがたいことです。
拙著「少数派日記」の読者の中には、スポーツ新聞時代のM脇さん、夕刊紙時代のN村くんもいるので、誰のことを言っているかおわかりでしょう。
でも、これが彼らにとっては養老猛司さんのいう第三の死(他人の死)なんでしょう。
現場で直接本人に取材している記者ならば、第三ではなく、本来は第二の死(親族、あるいは友人知人の死)であるべきなのに、つまりそれだけ、本人に直接取材をしていないということの証拠なのです。評論家諸氏に対しても、いつも電話一本で都合のいい一言を頂戴するだけで、直接会うこともないのだから第三の死というわけです。今、これを書いていて、なるほど、そういうことだったのか、と納得しました。
特にオチはありませんが、「あいつらより絶対長く生きてやる」と強くそう思いました。