少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

884 父の日

本日1/18は父・安藤博の86回目の誕生日・・・存命していれば、の話ですが。大正15年生まれ。今から26年も前、60歳で他界しました。
重い腎臓病で、当時はまだ、あまり技術が発達していなかった人工透析を3回ほど行いましたが、駄目でした。
僕は現在、中国で腎臓関係の医療に携わっていますが、これが26年早ければなあ・・・と思うこともあり、お手伝いさせていただいた患者様には、親父の分も長生きしていただきたいと願っています。
「サラリーマンの方が楽だから、サラリーマンになれ」と僕に、よくそう言った親父も若いときにさんざん起業しては失敗を繰り返したみたいです。
英会話教室、翻訳事務所、食品輸入などなど。工作機械の貿易部門でサラリーマンとして成功したのは40を過ぎてから。生まれ育った東京・雑司ヶ谷を捨て、愛知県に移住してからです。副業で飲食店を名古屋とシカゴで経営し、それも当たりました。また、不動産の売買や株取引でも成功し、おかげさまで僕はひもじい少年時代を過ごさずに済みました。
超悲観思考の母親は、今でもあまり好きになれませんが、親父は尊敬しています。
よく酒を飲み、激しくタバコを吸い、よく人を家に誘い、よく旅行に行き、よく本を読み、よく怒り、よく勉強する人でした。趣味は資格を取ることで、例えば宅建とか英検とか通訳検定とか、毎年、目標を定め、必ずひとつの資格を取るのです。そして目指したものは、すべて一発で合格でした。
東大に落ち、早稲田の理工学部出身ですが、主席卒業がかなわず、二番で卒業だったのが悔しいと言っていましたが、今から思えば、それが親父のコンプレックスだったのかも知れません。(僕には想像が及びませんが)
僕には、タイプライターで打った英文の手紙をよく寄越してくれましたが、使われている単語も、辞書の一番すみに出てくるような、アメリカ人も知らないような単語を並べてきます。4ケタの掛け算割り算も、僕と電卓で競争しても親父の暗算にはかないませんでした。
子供のころ、親父と遊んだ記憶があまりないのは、おびただしい数のパスポートと、押された査証の数を見て理解できました。
今の自分の年齢と当時の親父の年齢を重ね合わせてみると、自分は何やってんだろうな・・・と虚しくもなります。が、それはそれ、人生は人それぞれと割り切らねば面白くありません。
父親が亡くなった年齢を越えてはじめて未知の世界に行けると思うのは僕のような少数派だけでしょうか。日刊ゲンダイの後輩のK記者の家系が早死に家系で、「祖父も父親も四十代で亡くなり、自分もそうなると、潜在意識がそう思っているから、親父が死んだ48歳を超えるまで、実は恐怖に怯えているんですよ」なんて話を新宿二丁目のオカマバーで聞かされたことがある。そんな彼も、親父さんの年齢をクリアした。呪縛はほどけた。
今、こんな夜更けに、7/22の彼女の山形の実家で造られた日本酒を仏壇の中の親父とおじいさんと、そのまたおじいさんと、じっくり飲んでいる。
「古酒屋のひとりよがり」という彼女の実家の看板銘柄だ。彼女のお母様が贈ってくださったものをきょうのために大切に備蓄しておいた。美味い。こんな繊細な甘味と深みは日本人にしか造れまい。生の輪廻を日本酒が教えてくれる。