少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

963 星野仙一4

指を落とした青年にどこで落としたか尋ねる。「一塁側ベンチ横あたりのスタンドです・・・」と涙目で、うずくまる。
僕は片山を連れ、ダッシュで現場へ。すでに清掃が始まっていて送風機でゴミを集めている。すぐに作業を中止させ、そこに居た学生バイト30人くらいを総動員させ、男性の小指探し。落としたコンタクトを拾う要領で全員が這いつくばって、男性の小指を探す。海に落としたコインではない、必ず見つける、いや、見つけ出してあげる。
そして見つけた。「あったぞ〜」僕は男性の小指を握り、再び医務室にダッシュする。医務室に医者という名目のじいさんはいたが、よぼよぼ過ぎて話にならん。怪我人が40名以上もうずくまっていたが、どう見ても彼が一番の重症。記者席から電話で救急車を呼んだが30分以上はかかる・・・とわけのわからんことを。片山に氷袋に入れた彼の指を持たせ、タクシー待ちの列を蹴散らし、最前列に割り込む。事情を知らない後ろの方の客が文句を言うが後にしてくれ。とりあえず、タクシーを飛ばし、最寄の外科病院へ。事情を話し、医師に指と彼を渡す。心苦しいが、僕と片山に出来ることはそこまでだ。急遽、タクシーでナゴヤ球場に戻る。タクシーを待つ時間もタクシーの中でも原稿を書き、ナゴヤ球場から東京へファックスする。僕らの原稿は東京のデスクがチェックした上で、名古屋本社に送信され、名古屋の中日スポーツで掲載するかどうかは名古屋のデスクが判断する。同じ会社の新聞でも東京版と名古屋では多少だが内容やレイアウトが違うのだ。
大好きな星野仙一の監督として記念すべき第一回目の胴上げを、僕も片山も現場に居たにも関わらず、米粒ほどの距離からしか目撃していない。ただ同じ空気の中にいたという事実はそれだけで嬉しかった。
もう誰もいないナゴヤ球場。祭りのあとの静けさはたくろうさんの唄よりももの寂しい。灯りのついた記者席は僕と片山のふたりだけ。今ごろ本体はどこぞのホテルで祝勝会。ただ、この年は昭和天皇の体調がすぐれず、ビールかけは自粛されたので、少なくとも、それだけは落とされた指への供養のような気がした。
男性は酒に酔い、優勝の瞬間にグランドになだれ込もうとしてフェンスにしがみついていた。後ろから後ろから、同じ思いのファンがスタンドの最前列に降りてくる。男性はしがみついたフェンスの金網に指がからまり観客の圧力で、その小指が千切れた。男性に落ち度がなかったとは言わない。しかし、主催者である中日球団と中日新聞社、株式会社ナゴヤ球場警備体制が万全だったとは僕には思えなかった。時間の制限もあり、僕と片山は前半と後半に分け、急いで原稿を書いた。100%ボツになることは、わかってはいたが、見ぬふりなどできるわけがない。「どうして野球を観に来て、指を落とさなければならないのか」。片山は涙を浮かべながら書いていた。
原稿を送信して、記者席を後にした。もう誰も居ない、ナゴヤ球場の外でタクシーを拾う。まずは、先ほどの外科病院へ向かった。
「残念ですが、指はもうくっつきませんでした。さっきは酒に酔っていて痛みを感じませんでしたが、今になってじんじんしています。バカなことやっちゃいました・・・。でもお二人には感謝しています。ありがとう・・・」
青年は普通のまともな青年だった。警備体制さえ、万全なら未然に防止できた事故だったと今でも思っている。
僕と片山は、思いっきり落ち込んだ気持ちでタクシーに乗り込んだ。「中日新聞本社まで」と行先を告げると、運転手さんが「おめでとうございます」と言ってくれた。「ありがとう」とは返せず、悲しかった。
(つづく)