少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

968 3月11日午前

今、日本時間で午前11時52分。足の治療が終わり、点滴を受けながらこいつを書いている。一年前のこの時間、日本は平和だった。
僕は、上海の日本レストラン「G」でランチの準備。そして近所のオフィスビルへA店長とともに「弁当」の行商(押し売り)に出かけていた時刻。
奇しくも前日の3/10には、上海の日航ホテルで開催された宮城県食品協会主催のコンベンションにA店長とともに訪れた。宮城県の食品加工業者が、自社ブランドを持参し、上海の日本レストランに売り込みに来ていたのだ。
僕とA店長は佐藤社長の話を熱心に聞いた。宮城の海で獲れた海藻を麺に混ぜ込んだ海藻麺で血圧や血糖を下げる健康食品を開発したと。佐藤社長は、その場で僕らに試食品の麺を茹でてくれた。「赤藻」と言っていたような気がする。時期モノで常に獲れるわけではないと、確かそう言っていた。
美味しかった。佐藤社長には言えなかったが、この時期、すでに「G」は撤退の可能性が濃厚だった。「もし上海店がダメでも、本体は日本で120店舗ありますから、そちらの方に推薦してみます」と僕とA店長は佐藤社長と握手した。工場は福島にあると言っていた。
そして3/11。午後2時46分。僕らはいつものように、ランチの後片付けをして、まかないを食べ。休憩の体制に入っていた。まだ誰も何も知らない。
夜の「G」は予約が無ければ、もはや閑古鳥。N料理長だけ残し、僕とA店長は客の入りのいい他店を偵察。途中で別れ、僕は午後8時ごろ、マッサージに行く。そこのテレビのニュースで映像を見た。中国語だから詳しいことまではわからないが、映像は福島原発から出る黒煙とコンビナートの火災のみで、まだ津波の映像はほんのわずか。
その後、午後10時ごろ、日本人経営の「大谷」という店にはじめて入る。店外から日本のプロ野球のユニフォームや「明大ラグビー部のジャージ」が飾られていたのが見えたからだ。
野球はともかく、どうして明大のジャージが?背番号は14番、誰だ?すぐにわかった。というのも、僕が書いた彼の記事が掲載された「ラグビーワールド」が一緒に飾られていたからだ。
「T君、この店に来るんですか?」「ほぼ毎日来てるよ。って言うか、さっきまで、いたよ、今、お客さんが座っている場所にさ。なに、知り合いなの?仕事の関係?」。カウンターに座ると、おしぼりが出るより早く、マスターが矢継ぎ早に・・・。
簡単に事情を話し、ビールを飲む。L字カウンターの常連さんたちは、みなT君の飲み仲間と見えるが「へ〜なに、Tってそんなに凄い選手だったのお?」と、彼のラグビー時代を知らない平和な人たちでしばし盛り上がる。しかし、それも束の間、店に備え付けられた大型の液晶はNHKを流し、悲惨な状況を伝える。
ただ、それでも、情報は少なかった。地震発生からすでに10時間以上が経過しているのに、NHKでは「死者200人」程度だった。カウンターの客のひとりが知ったか顔で「死者が200人ってことは、最終的には2000人に増えるな」などと言っただけで「2000人!」と誰もが驚き、誰かが「阪神淡路よりマシかな」などとも言っていた。マッサージの店では黒煙だったのに、NHKでは白い煙になっていたことが不思議だったが、その時点では大きな疑問ではなかった。
居酒屋は一時間ほどで切り上げ、タクシーで「G」に戻った。3階のバーでA店長とN料理長がテレビに見入っていた。
何人(なにびと)も過去を変えることや、自然に逆らうことは出来ない。しかし、想定から被害を回避する情報は歴史と先人たちが残してくれた。その中に必ずや過去の自分もいたはず。被害者だった時の自分をよく思い出して、備えておかなければ、また同じ過ちを繰り返す。それでは、犠牲になられた方々に合わす顔がない。
追伸=東北大震災で犠牲になられた全員の方々のご冥福をお祈りさせていただきます。また被害に遭われた方々の一日も早い復興を心よりお祈りさせていただきます。