少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

978 安藤さんと中国

3月25日(日)
前日、隣のベッドの人が居なくなり、はじめての個室。
そのため、深夜、ゴルフのアルバイト原稿を書く。一本につき、中国往復分の航空代になる。深夜に一本、夜に一本書いたので、二往復分は確保だ。
深夜、T嬢に誕生祝いメールを贈る。1960年3月25日生まれ、いまだによくわからない。あなたは何をどうしたい?
3時間ほど寝て、7時起床。シャワーを浴び、ついでに下着を洗濯。
8時ジャスト、新たなビジネスパートナーCさんが時間通り、アウディで迎えに来てくれる。そのまま新しくできた飲茶へ。O医師と8:30に待ち合わせ。O医師も20分前に来たが、僕らの方が早かった。O医師とCさんは初対面、両者とも流暢な日本語を話す。久々の快晴、あっという間に満席の飲茶で「排毒美顔茶」をすすり、飲茶系朝食をつまみながら3時間のビジネストーク
再び病院に送ってもらい、足の治療。担当のM医師、「ごめんごめん、忙しくて・・・看護婦さんに頼んでおいたから」と僕の治療は看護婦さん。時々、様子を見にくる。マスクとキャップ姿、話す態度は男っぽいが、眼鏡をはずすと実はけっこう可愛い女医さん。毎朝、ベッドまで来てくれる。
病院には、僕の知る看護婦さんが、少なくともまだ10人はいる。毎日、誰かとすれ違う。日曜日なのに、患者の数が半端じゃない。支払いカウンターに長蛇の列。写真は撮ったが次の機会に。点滴室も人で溢れている。すごすぎる。
天気がいいので病室には戻らず散歩。病院を出て往来で子供の片方の靴を拾う。触るとまだ中が暖かい。落とし主はまだ近くにいるぞ。
遠方に坊やを抱いたおばあちゃんを発見。靴の有無まで確認できる距離ではない。ためらえば見失ってしまう。走れないので少し早足で後を追う。坊やを抱いたばあちゃんなのに、なかなか距離が縮まらん。相当の健脚か、それともこちらの衰退か・・・。
ようやく坊やの片方の靴の色を確認、ほぼ間違いない。件の道を渡って、おばあちゃんは道向こうの貧村・鍾村へ。声が届く距離になり、僕が後ろからばあちゃんに声をかける「ニーハオ」「ニーハオ」。一瞬、振り向いたばあちゃんは僕の顔を見るなり、歩く速度をさらに速めた。
喰われるとでも思ったのだろうか、まさか強姦されるかと・・・?僕も速度を速め、も一度「ニーハオ」と叫ぶ。観念したばあちゃんが立ち止り、僕を見る。僕が坊やの靴を差し出すと、坊やの足元を確認して「おお謝謝、シェエシェエ」と今度は僕の顔を懐かしく見る。「プーヨンシェ」と言って僕は立ち去る。見上げると「盲人按摩」があったので入る。60分50元(650円)。10年前は確か半分くらいの金額だった。目の見えるお姉さんに揉んでもらった。気持ち良すぎて終わってから30分ほど爆睡。
大好きな鍾村を少しぶらつく。ここなら一食5元(65円)で満腹になる。3食でも食えまっせ。大好きな煎餅(粉を溶かせて香辛料を入れて鉄板で焼いたパン)を2元(量り売り=26円)ほど買い、かじりながら歩く。
また道を渡り、病院方向に戻り、スーパーに行くと「安藤さ〜ん」と呼ばれる。今度はKちゃんだ。今は日本レストラン2店舗経営の香港人女性。「3店舗目を出す予定なんだけど、急に景気が落ち込んじゃって・・・」と、彼女の店で一緒にお茶を飲みながら、ビジネストーク2時間。当方もレストランビジネスに興味があり、いろいろと情報収集。
彼女、僕が学生時代を過ごした新小岩、小岩に住んでいたことがあり、また就職した品川の中日新聞東京本社のすぐ近くの立ち食いそば屋で働いていたこともあり、そんな経緯が重なり、なぜか親近感が持てる女性。流暢な日本語、同じ猪年生まれの一回り下。実のある話が聞けた。
店を出るとRから電話。この人物と連絡が取れなくて困っていた。電話番号を変えたらしい。もう10年の付き合い。彼が居なければ、僕は今ここにいなかっただろう。O医師と同じくらい、古くて大切なパートナーだ。
「ミスターアンドウ、どこに居る?」「スーパーの前のメリーゴーランドの横だ」「メリーゴーランドって何だ?」「ガキが馬に乗ってぐるぐる回るやつだ」「そうか、よくわからんが5分で行く」「ミスターR、君はどこだ?」「近くだ、じゃあ」。そんな感じで4分後、彼登場。
彼とはかつて一緒に仕事をしたし、僕の重要書類はすべて彼に預かってもらっていた。昨年6月、なかなかできなかった赤子がようやく生まれた。iPoneの中の大量の写真を見せてくれた。彼とは今後も一生付き合うだろう。会話は英語。吉林省の出身なので、今回の吉林視察も彼の旧知が現地で僕をサポートしてくれる。それにしてもこのタイミングで、偶然にもこの場所で会えたのは嬉しい。
彼と別れた直後、看護婦のSから電話。妹のように可愛がっていた子。彼女が看護学校を出た22歳の時からの付き合いだ。今では2児の母だが、有能で日本人患者さんは何人もお世話になった。しばらく体調を崩していて、時々、辛そうな声で、電話をかけてきたが、だいぶ回復したようだ。僕が、現在、彼女の勤めている新しい大学病院を視察したいと、リクエストしていたので、気にして何度も電話をくれた。体調が良ければ明日迎えに来てくれるとのこと。彼女との会話は英語。すべて独学で語学学校にすら通ったことがないのに、ちゃんとした英語を話す。倹約家で彼女と一緒に買い物に行くと「あれもいらない」「これもいらない」と結局、何も買えずに帰ってくる。8年前、新人だった彼女の給料はフルタイム働いて、ひと月わずか1500元(約2万円)。当時の勤務シフトは本当に苛酷なスケジュールで気の毒なほど。彼女はこの給料の中から母親と身体の弱い姉に仕送りし、さらに貯金までしていた。
電話を切り、ぽこぽこ歩いていると、善人商店の前に出た。おっ、中に人が居るのに扉が閉まっているぞ。これは店内で件の九官鳥「ベイベイ君」がお散歩中の合図。店内を自由に飛び回り、ご主人Aさんの肩に乗ったり、食べものを探したり。「こいつ鳥のくせによく落ちるんですよ」とかつて置き型エアコンの裏に落ちて出られなくなったこともあるそうです。「安藤さん、今夜、一緒に食事しませんか?」と中国人の奥さんが日本語で。
ありがたいお誘いを受け、午後7時からお店で夕食。ビールも振る舞われ、お客さんの接客をしながら、カウンターで楽しい夕げ。
9時には引き揚げ、ゴルフの原稿。ごそごそしてブログを書いて午前2時。
やはり、安藤さんは中国が好きみたい。母国では日曜日の夕方、どこかの家からサザエさんが聞こえてくると、夏休みの終わりみたいで急にさびしくなるけど、ここではサザエさんが聞こえてこないから、結局、きょうが何曜日なのかわからないまま暮れて行く。それがいい。
自分が矛盾した人間だから、矛盾だらけの国でも平気なんだろうな、きっと、となんとなくそんな感じがする。