少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1157 さいごの東京タワー

悲しい話を聞いたのは昨7/4のこと。
実は電話をかけることが、少し怖かった。特に用事などない。ただお元気にしているかどうかだけ「確認」したかっただけ。深い関係ではあるが、親しい関係ではない。もし、電話に出られないようならどうしよう。少しだけ心が震えた。
元気なら年に数回、彼から電話をくれる。だが、ここ半年以上、声を聴いていない。実は僕が担当させていただいた腎臓移植の患者さん。
関西出身のYさんは、小柄だががっちりしたタイプで筋肉質。それもそのはず、名門・浪商野球部の全盛期の時のメンバー。名前を出すと特定されるので、書かないが同年代からプロ選手が何人も出ている、それも有名選手ばかり。
Yさんとの出会いは忘れられない。もう、数年も前のこと。一度、Sさんから問い合わせの電話が僕の携帯にかかり、至急会いたいとのこと。それから、しばらく連絡が来なかった。
基本的にこちらからは連絡しない。「斡旋業」ではないという証でもある。
最初の電話から二か月ほどして、また連絡が来た。
「すまへんな、実は、あの電話のあと、妹が死にはってな、いろいろと大変やったんや。まあ、堪忍したってな」とSさん。
聞けば気の毒な話。Yさんは男二人、女二人の四人兄弟の長男だが、お母さんが腎臓の病気を患い、弟をのぞいた3人が、先天性の腎臓病で若いころから透析人生を送っている。そのYさんの妹さんが、確か当時60歳くらいで腎不全でお亡くなりなったのだ。
実はSさん、過去に近大付属病院で腎臓移植を受けた経験がある。しかし、喜んだのも束の間、移植された腎臓は交通事故による、いわゆる事故腎(損傷があった)で、結局すぐに、腎不全となり、透析がはじまった。
「手術で痛い思いをしただけや」と嘆いていた。
「とにかく辛いから、一日も早く、中国でもどこでも連れてってくれ」とお会いしたこともない彼は、僕に電話で「命」を懇願された。
「とりあえず、病院を見て、医師と会って、現地を下見して、どうなさるか判断してください」と僕はマニュアル通り進めたのだが、「一応、もう手術を受けるつもりで行きまっせ」というYさんに、初めて関空でお会いして、そのまま広州へお連れした。Yさんはボストンバッグひとつだった。
(つづく)