少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1159 さいごの東京タワー3

執刀医で移植センターの医局長、R医師が僕に告げた今夜の移植患者は、待機中のYさんではなく、たまたま視察に訪れていたFさんだった。
なんとも気まずい空気が流れた・・・。
驚くFさんと、肩を落とすYさん・・・。
「そういうことなら、しゃーないわな。いったん帰って、仕切り直ししてきまっさ」とYさん。その日は、何度となく、心配する日本の家族から電話がかかり「まだや、まだわからん。決まったら安藤はんが知らせてくれるよってに」とか言う会話があり、僕も電話に出て、Yさんの奥さんに「手術」と「術後」の流れを説明した。
「あの人、うまくいくとええでんな」とFさんの手術を気遣いながらYさんの長い一日は終わった。
それから、さらに十か月、Yさんのドナーは出現しない。
「安藤さん、もう限界や、はよ何とかしてったてんか?」
人一倍、我慢強いYさんからの電話が二か月に一回のペースで鳴る。こちらも心が痛い。R医師に催促するも「わかっている。全力で探している。もう少し待ってくれ」。そんな言葉をYさんに伝える。
後で聞いた話だが、Yさんが人工透析のため通っていた医療機関はYさんの中国での移植手術に非協力的で、最後は気まずい関係になったそうだ。「もう、ここには二度と来たくない」という思いもあり、Yさんは啖呵まできって、この病院と決別し、中国で移植したのちに、帰国する青写真を描いていたのだ。
「それが、また、世話にならなあかんとはな」とYさんのプライドはいたく傷つき、顔なじみの患者からも「上手く行かんかったのか」と冷やかされたりもしたという。
「階段上がるのしんどいけどエレベータつこうたら、もう終わりや思うて、わし、しんどいけど、階段で登り降りしたってる」と浪商魂で、週3回、1回4時間の透析に耐えてきた。そんなYさんが「もう限界や・・・」と言うのだから、本当に苛酷なんだろう。
僕はR医師と病院には内緒でYさんのため別の病院を当たった。
当然、ろくな中国語も話せない。紹介状も何もない丸腰状態。それでも一週間ほど、毎日通い、毎日門前払いされた。
「中国語の下手な日本人が毎日来る」すぐに評判になり、何人かの看護師や医師と顔見知りになった。通い始めて10日め、英語の話せる女医さんが、ようやく話だけは聞いてくれるというとこまでこぎつけた。
「基本的に不可能だと思うけど、上司には報告しておきます」ということになり、翌日には面会に応じてくれるとのことで、通訳を従えて、交渉に臨んだ。
「日本人をはじめ各国から怪しいブローカーが来るので、あなたもその一人かと思って警戒していましたが、資料を拝見して安心しました。ちゃんとした医療機関の方だとわかりましたので、その患者さんの受け入れを認めましょう」と合計3回の正式交渉の末、Yさんの入院待機が決定した。
猛暑の夏、甲子園の季節。僕とYさんは、その病院を訪れ、入院の手続きをした。
(つづく)
ヘビーな内容なので、こんなかわいい中国の子供たちの映像でもどうぞ。

http://news.aol.jp/2012/07/04/pandas-on-a-slide/