少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1168 もっと強くたれ

「葬式ごっこ」「自殺の練習」・・・大津の事件だけでなく、同じ年の子供を死に追いやるまでの「いじめ」。
教育者の責任は、犠牲者を守れなかった、というよりは「教育」そのものを知らなかったのだ、と断言しよう。
「教育」とは何ぞや。それは人間が人間として「強くなるための武器」を身につけることに他ならない。教育者ではない、むしろ劣等生のこの僕でも知っている。
授業で勉強を教えるのは「学問」という「鎧」を生徒につけさせ、勉強以外の、例えば部活とかは「武器」を生徒に持たせる。そんなイメージだ。
「いじめ」は必ずある。どこにでも存在する。しかし自殺に追い込むまでの「いじめ」は異常だ。教育者が無知、あるいは無知のふりをしていたから、そうなった、と断言しよう。
「弱い者」は闘う術を知らなくてはならない。なぜならば、卒業して一歩、社会に出れば「いじめ」どころか「おれおれ詐欺」とか「通り魔」とか「セクハラ」「パワハラ」は日常的に不特定多数を襲うからだ。
戸塚ヨットスクール戸塚宏校長がこう言った。
「社会に出た時に強い人間になっていなければならない。だから、学校でのいじめは、ある意味、必要悪。これに勝たなければ、社会に出て弱者となり、強者の餌食となってしまう。ただし、集団による個人攻撃はルール違反。それに対して教師は断固として闘わなければならない」と。
まったく同感です。教師たるもの「弱者」に「勝つ術」を教えてはじめてプロフェッショナルの教師として胸を張れ。
だが、現実は厳しい。理想論としてはそうだが、あの「モンスターペアレント」が牙をむく。熱血教師は教育委員会からお呼びがかかり「もっと手柔らかにやれ」とたわごとをぶたれ、熱血教師は懲戒処分を受け、バカバカしい、勝手にやってくれ、とケツをまくり、辞めてしまうのが現実。したがって、残党は大津の中学よろしく腰抜け保身、事なかれ、葬式ごっこ?見落としてました無責任教師ばかりとなり、自殺犠牲者は一向に減少しない、という構図。
「いじめ」なんか発覚したら「校長」も「教頭」もキャリアがパー。そら必死で、もう必死でひた隠すんでしょ。
僕らの時代、体育会は一年でも先輩なら問答無用の暴力、リンチは、まあ日常的。特に疑問にも思わなかった。だから社会に出て、パワハラとか受けても「屁のかっぱケツの穴ブリキ」。それでも気に入らなかったら、上司ぶん殴って会社辞めればいいだけの話。飛び降りることはない。
「もっと強くなれ」「もっと強くたれ」「もっと強くあれ」
相手を見下す力(術)を身につければ恐いものなど何もない。その魔法「HATUTARI」を日本語に翻訳すると「ハッタリ」。瞬間的に身につくから、試してみてほしい。
私など、それだけで世渡りしてきました。
でも、そんなのはしょせんインチキ、まがいもの。
本物の勇気とは「笑顔」。誰にも負けない「笑顔」。
「笑顔」と「笑顔」では闘いは起こらない。「殺人予告」までされたY君を、笑顔で「惚れさせて」しまった麻梨花は、本当にすごい子だよ。
教師が生徒に教えることは「笑顔」という武器。すべてのものごとに勝てる武器。強くなれば「笑顔」になれる。不安もない。
いま、いじめられている子、もし知っていたら、伝えて欲しい、そんなこと。マスコミで話題になるときだけの一時的じゃあ、どうにもならないよ。犠牲となった子たちの過ちが、繰り返されては意味がない。
僕らの時代にも、そんな先生は居なかった。
教師といえば「学校の先生なんか、社会に出るための一番低い壁だから、そんなもんとっとと乗り越えろ」と言う、三島由紀夫の言葉と、タイガーマスクだった。この最終回を見て強くなれ!

解説・・・悪を倒すために、反則の限りを尽くすタイガーをあなたは支持できますか?正義とは何か?奥の深い物語りです。