少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1187 きいちゃん1

去る6月3日(日)、法政大学大学院で行われました山元加津子先生(かっこちゃん)の講演会の中での話です。いつか少数派日記で書こうと思っていた内容ですが、時が過ぎてしまいました。本日7/24の「mikuちゃんの日記」に、その全内容が掲載されていましたので、全文転載させていただきます。
ほとんど、一字一句、あの日、聴いた内容通りです。知人のIT会社のT社長と行きましたので、泣かないように我慢していましたが無理でした。素敵な話です。最後までお読みください。
http://d.hatena.ne.jp/mikutyan/20120724/1343086204
ーーーーーーー以下、全文

きいちゃんの話
きいちゃんは私が教員になったばかりのときに出会いました。
きいちゃんはそのとき、高校二年生でした。
きいちゃんは、小さいときに高い熱が出て、それがもとで手や足が思うように動かなくなって、訓練のために、親元を3歳のときから離れて、学校の近くの施設で生活をしていました。
きいちゃんは、教室の中でいつもさびしそうでした。
たいていのとき、うつむいてひとりぼっちで座っていました。
そして「どうせわたしなんて」というのが口癖で、私はそのことがとても気がかりでした。
 だから、ある日、きいちゃんが職員室の私のところへ「せんせいーー」って大きな声で飛びこんできてくれたときは本当にびっくりしたのです。
こんなにうれしそうなきいちゃんを私は初めてみたのです。
「どうしたの?」そうたずねると、
きいちゃんは
「おねえさんが結婚するの。私、結婚式に出るのよ」
ってにこにこしながら教えてくれました。
ああ、よかったって私もすごくうれしかったのです。
 それなのに、それから何日かたったころ、教室で机に顔を押しつけるようにして、ひとりで泣いているきいちゃんをみつけました。 
涙でぬれた顔をあげてきいちゃんが言いました。
「おかあさんがわたしに、結婚式に出ないでほしいって言ったの。おかあさんは私のことが恥ずかしいのよ。おねえさんのことばかり考えているのよ。私なんてうまなければよかったのに」
きいちゃんはやっとのことでそういうと、またはげしく泣いていたのです。
 でも、きいちゃんのお母さんはいつもいつもきいちゃんのことばかり考えているような人でした。
お母さんは面会日のたびに、きいちゃんに会うために、まだ暗いうちに家を出て、電車やバスをいくつも乗りついで4時間もかけて、きいちゃんに会いに来られていたのです。毎日のお仕事がどんなに大変でも、きいちゃんに会いに来られ
るのを一度もお休みしたことはないくらいでした。そしてね、私にも、きいちゃんの喜ぶことは何でもしたいのだと話しておられたのです。 
だからおかあさんは決っしてきいちゃんが言うように、おねえさんのことばかり考えていたわけではないと思うのです。
ただ、もしかしたら、結婚式にきいちゃんが出ることで、おねえさんが肩身の狭い思いをするのではないか、あるいは、きいちゃん自身がつらい思いをするのじゃないかとお母さんが心配されたからではないかと私は思いました。
 私がそう考えたのには理由があります。
きいちゃんと出会ったのは今から30年以上前で今とはずいぶん状況が違っていました。そのころは、養護学校の子どもたちがどんなに素敵な絵を描いても文章を綴っても、本名をつけて発表されることはありませんでした。いつも、東京都A子とか、イニシャルでしか発表されない、そんな時代だったのです。子どもたちは生まれてそこで生きていると言うことすら隠されている時代でした。
私は自分が自分であることを隠さなければならないのはおかしいと思いましたが、先輩は、それは家族の方が悪いのではなくて、社会がそうなんだよと言いました。
 きいちゃんはとても悲しそうだったし、「うまなければよかったのに・・」
ときいちゃんに言われたお母さんもどんなに悲しい思いをしておられるだろうと私は心配でした。
けれど、きいちゃんの悲しい気持ちにもお母さんの悲しい気持ちにも、
私は何をすることもできませんでした。
ただ、きいちゃんに
「おねえさんに結婚のお祝いのプレゼントをつくろうよ」
と言いました。
(つづく)