1209 天草慕情2
では何故、天草なのか?記憶を辿ってみました。
麻梨花ちゃんと出会うまで、僕の中の天草は中学が高校の教科書の中だけの世界。それも「天草四郎」と「島原の乱」と「隠れキリシタン」の3つしか連想できない貧祖な知識。地図を広げて「どこだ?」と問われてもきっとわからない・・・そんな世界でした。
それが麻梨花ちゃんを通じて日々身近になる理由。それは前世です。
いつぞや、もう20年くらい前でしょうか、過去世を見ることができるというヒーラーに会い、見ていただきました。
「400年くらい前、スペインかポルトガルのカトリック教会で、修行をしたり奉仕活動したりする姿が見えます」と言われました。
そのヒーラーさんの見立ては、おそらく当たっています。
その方に会う、ずっと以前から、まだ一度も訪れたことのないスペインやポルトガル、あるいはトルコの風景を映像や写真で見ると、同じヨーロッパでも、フランスやイタリア、ドイツやイギリスとは全く違う親近感を感じていました。
90年代、湾岸戦争を取材したとき、アンマンで日本人の市民ボランティア団体と出会いました。十数人のグループでしたが、その方たちはほぼ全員が「初めて来ましたけど、初めてじゃない。私(私たち)はずっと以前にこの地で暮らしていました。確実にわかります。ですから、今回、自然に身体が動いて、お手伝いに来たのです」と誰にともなく話されていました。とても印象的で今でもよく覚えています。
精神医学的にデジャブ(dejavu)は「既視感。記憶錯誤の一種」と言うそうですが、僕は断固として否定します。「ここに来たことがある」。現世ではないのですが、前世で。「はじめて会った気がしない」。当然です。前世では親子、親友、恋人同士だったのだから。何百年も何千年も探し求め、やっと巡り会えた・・・なんてこと、僕は絶対にあると信じています。つまり「輪廻転生」。
子供のころ、石橋団地にできた小さなキリスト会の日曜学校に足繁く通っていました。理由は単純です。青い目をしたシスターのおばさんがいて、下手な日本語でしたが、とても優しいおばさんで、外国人が珍しかったのと、教会に行くと、必ず帰りにアメ玉をくれるし、イースターの時はゆで卵ももらえるので、それを目当てに行っていたのです。最近母親から聞いた話によると、「この子(僕)を是非とも牧師に育てたいので、なんとしてでも養子にもらえないか」と日参されたそうです。確かに一時期、シスターが家に足繁く訪問される時期がありましたが、そういう裏話があったことを知ったのはつい最近のことでした。
あの時、養子に出されていたら、また違う人生を歩むことになったでしょう。
話は飛びますが、東京中日スポーツを辞めた一番大きな理由は、社の先輩記者にあたる「千葉敦子」さんの本を読み「ホスピス建設」を生涯の仕事にしよう、と思ったことです。
後に知ったことですが「ホスピス」とはもともとキリスト教の宗教用語から生まれた言葉だったと。
ですから、キリシタンの天草と僕は無縁ではなく、麻梨花ちゃんとも前世からの知り合いだったと断言できるのです。
「ホスピス」の事業はあきらめたわけではなく、目黒信用金庫には「安曇野ホスピス設立委員会」という口座があり、今は心もとない預金高ですが、いつかどっかーんと増える日が来ることを確信しています。
世界も前世も来世も宇宙も、みんな繋がっているのです。
いつの日か、天草を訪れた僕は、きっと「懐かしく」思うのでしょう。