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これは奇しくもと表現して差し支えないだろう。
昨24日、厚労省は2011年の国民の総医療費を過去最高の37兆8000億円と発表した。安藤もかなり貢献しているので大きな口はたたけないが、日本の国家予算をかなりの勢いで圧迫していることは事実である。
金銭で人間の生命が維持できるのであれば、資本主義社会において、経済的な富裕層が健康面でも大きなアドバンテージを受けることができる。賛否はともかくとして、事実はそうだ。
かと言って、日本の医療制度は他国には類を見ないほど、最大限の平等を目指している。「お金がないから・・・」という理由で目の前の瀕死の患者を放置することは、まずありえない。
日本の医療水準と多数の医療関係者の個人的なモラルは世界トップレベルであることは間違いない。ただし、これが「組織」となると、話が変わってくる。
「生命維持装置」なるものを装着すると、自己呼吸できない人間も長らく延命できるそうだ。一日か二日、いや一か月、二か月・・・不適切な表現かも知れないが、下手すれば年単位で、モノも食べれない、眼も開けられない、口もきけない、手も動かせない人間が、ただただ心臓のみを動かしている状態が続くのだ。
費用は月ん百万円もかさむ。保険適用なら国が負担する。家族の疲労は困憊を極め、ノイローゼにもなり、新たな病人が誕生する。悪循環のスパイラル。この繰り返しと増加が、今日の医療費の増大の最大の要因である。
そして、高齢化社会は確実にこの数字を毎年更新していくことを、もはや誰も否定できない。
数年前、富山県射水市で起きた、大量安楽死事件。僕の記憶が正しければ、確か8名だったと思う。植物状態の患者の生命維持装置が家族の承認のもと、病院の勤務医の手によって外された。
後日、承認したわけじゃない・・・という一部の家族の訴えで、医師は家族と病院から「殺人容疑」で告訴された・・・。確かそんな事件でした。
ネットで調べてから書けばよいのですが、たぶん記憶通りだと思うので横着します。事実に誤記があれば、訂正します。
知り合いの医師数人に聞いても、自身ができるかどうかは別として、その医師の行為は十分理解できるし、実際に自身が同じような場面に遭遇した時に、自身もそうしたい衝動にかられることもあり、また、医療従事者として、積極的にそうすべきだとさえ言う人もいた。
「人間は自然に死ぬのが一番幸せだと思いますよ。延命措置を施して、結局ハッピーエンドだった患者さんを見たことがありません。それより、限られた予算、限られた医療人員を有効に活用するには、子供とか若い人を優先的に助けていかなくては。お年寄りには申し訳ないのですが、現状を冷静に判断すると、そうするのがベターなんです・・・」
言葉を選んだ友人医師の話だが、説得力がある。
生きることは大切だが、その前に「幸せに」という形容詞がつくことが大前提ではなかろうか?
さて、話を腎臓移植の宇和島徳洲会病院の万波誠先生に戻すとしよう。
万波先生の医療費についてのコメントを引用しよう。
ーーーーーー(以下ネットニュースからの引用)−−−
申請者(安藤注=徳洲会サイド)は、自ら手掛けた病気腎移植8症例で、「がんの発生と転移が認められていない」と報告。さらにオーストラリアでの病気腎移植43例も取り上げ、「移植後9年でがんが再発し、18か月進行が見られない1例を除けば、術後経過は良好」とした。こうした実例や、現在進行中の臨床研究の結果を踏まえ、「腎生着率100%、血清クレアチニン値2?/dl以下で、生体腎移植と遜色なく、最長29か月を経過するが、腎がんの発生・転移を認めていない」と強調。先進医療として承認されれば、医療費が年間約30億円削減される(病気腎移植1000例)ほか、日本臓器移植ネットワークに登録する腎不全患者1万人の平均待機期間が約15年から3年程度に短縮すると訴えた。
ーーーーーーー(以上)
万波先生は記事中、医療費が年間30億円の削除が可能と述べています。
37兆8000億から見たら小さな数字に見えますが30億そのものは膨大な金額だと認識してください。
30億円の根拠をひも解きますと、腎不全の患者さんの人工透析にかかる費用は平均で一人あたり月間約50万円。年間で600万円になります。現在は患者さんが月1万円程度を負担していますが、それ以外はすべて国の負担です。30億円を600万円で単純に割ると500になります。つまり万波先生の試算では病気腎の生体移植を厚労省が保険適用手術と認めれば、毎年500名の患者さんが人工透析から解放され、30億円の医療費を節減できるというわけです。
賛否、是非は別として、ひとつの意見として、もっとグローバルに検討する余地が十分に必要だと感じます。
(つづく)