少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1257 8月31日3

悲しい想い出もある。
久典(ひさのり)という友がいた。
少なくとも、小学校の高学年の時はいつも一緒にいた。
と言っても、彼は野球をやらないので、僕が野球を終えるまで待っていた。
彼の家は、小学校を挟んで、僕の家と反対方向だったが、それでもよく遊びに行った。父親は個人の鉄工所を営んでいたが、当時では珍しい3階建の鉄筋自宅ビルを建て、3階の応接間が僕らの遊び場だった。
革張りのソファで飛び跳ねたり、3階からの景色を眺めたり、シャンデリアが珍しくて、暗くなると点けたり消したりとか・・・。
それより久典のかあちゃんが、アブラにまみれたモンペ姿のままだが、お菓子を袋ごと出してくれて、それがたまらなく嬉しかった。
中学になるときに、同じタイプの通学用の自転車を購入した。小学校の時は、仮面ライダーの揃いのジャンパーも買った。久典も、よく僕の家に遊びに来ていた。
小柄でおとなしく、僕の他にはあまり友がいなかったと思う。本人に尋ねたことはないが、僕は親しい友だと思っていた。
中学に入り、クラスも別々になったが、今度は久典の家が、僕の通学路となり、学校帰りにはよく立ち寄った。かあちゃんは、相変わらずアブラにまみれていたが、いつものようにお菓子を袋ごと出してくれた。遊びと言えば、小学校の延長でソファの上での仮面ライダーごっこ。時には白熱しすぎて喧嘩になることもあったが、2日も経てばまた遊ぶ、そんな関係だった。
やがて、高校生になり別々の高校に進み、それぞれに新しい仲間が出来、以前のように頻繁に会うことはなくなった。それでも駅への通り道に彼の家がある。年に何度かは顔を出した。もう仮面ライダーごっこは卒業していた。
高校2年の新学期9月1日。いつものように自転車をこいで、僕は駅へと向かった。彼の家の玄関に「喪中」が貼られていた。おじいさんもおばあさんもいたので、そのどちらかが亡くなられたのだと思い込んで、僕は普通に学校に行った。
そして、その帰り道。今度は彼の家の前に知った顔が何人かいた。小学校の同級生たちだった。
「どうしたの?」と僕が尋ねると「久典君が死んだ」という。
「ええ?ウソだろ・・・」
僕は自転車を道路の脇に停めて中をのぞいた。彼の遺影が飾られ、棺にお母さんがしがみついていた。
僕が「おばさん・・・」とおかあさんに声を掛けたが、おかあさんは放心状態で、もう目の焦点が合っていなかった。僕はもう、その場から離れることが出来ず、友人に親への伝言を頼み、もうひとりの友と2人でずっと棺の横で夜を明かした。
翌日はおばさんが「学校休んだらいけん」と言うので、学校には行ったが、午後は休校して、また久典のそばにいた。
久典のお姉さんから話を聞いた。高校に進学してから、久典が悪い連中と付き合いだし、そのことでおかあさんと口論になったそうだ。そして、その夜、つまり8月31日、久典は父親が経営する小さな工場で首を吊ってしまった。
8月31日は久典の17歳の誕生日だった。
小学生のころ、僕と久典の誕生日は、みな宿題のラストスパートで他人の誕生日どころではない。確か小5と小6の二度、一度は僕の家で、一度は久典の家で、ふたりだけの誕生パーティーを開いたことがある。ちゃんとケーキとジュースを買い、2人だけでけっこう盛り上がった。だから彼のことは絶対に忘れない。
高校生の僕に、憔悴しきったおばさんを慰めることは出来ない。ただ、葬式の時に、その不良どもも顔を出した。そして耳障りな発言も聞こえてきた。思いっきりぶん殴ってやりたい衝動を数人の友とこらえた。これ以上、おばさんを悲しませるわけにはいかない。
帰郷するたびに、墓前に小さな花を手向ける。辛すぎておばさんの顔は見られない。気になることがひとつ。墓前には、よく、空き缶の上に乗せられたタバコの吸い殻がある。あの時の不良どもの誰かが置いていくのだろうか? (了)