少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1270 金狼の遺言

友人のプロレスライター、トシ倉森氏が東京スポーツに連載されていた「金狼の遺言〜上田馬之助物語」が辰巳出版より、上田馬之助氏との共著として発売されました。現在、プロレス、格闘技部門の販売でトップです。格闘技ファンのかたはぜひ、読んでいただきたい。定価1238円(税抜)です。
 トシ倉森さんとは、もう何年も前にFLASHのT記者の紹介で知り合い、事情があって我が自宅の近所に引っ越されてきた時に引っ越しも手伝った仲です。その後、近所の居酒屋でよく一緒に飲んだのですが、その居酒屋が潰れたのを機に、一緒に飲むことはあまりなくなったのですが、トシ倉森さんは、大のラグビー好きでもあり、シーズンになると、秩父宮と国立で一緒に観戦する仲です。
 トシ倉森さんは日本のレスラーはもとより、海外のレスラーとも深い親交があり、ザ・デストロイヤーから直接譲り受けたマスクも持っています。いつぞや、氏の部屋で酒を飲んでいた時、覆らせていただいた貴重なワンショットがあり、ここに掲載しようかな・・・と思っているのですが、どういうわけか顔は覆面で隠しているのに、そのわりに上半身はおろか下半身の覆面は剥がされて、イチモツなども激写されており、これはNHKでは放送禁止になるかな・・・という始末で、本当に、酔っ払いのオサーンは何を考えているのかというわけです。
 さて、冗談ではないジョーダンはさておき、本の内容に触れてみましょう。僕らが知る上田馬之助さんはタイガー・ジェット・シンと悪魔のコンビを組む、ヒール・オブ・ザ・ヒール。あのふてぶてしい顔と態度は、少年少女の最大の敵。マグマ大使で言えば「ゴア」。仮面ライダーで言えば「ショッカー」。野球で言えば「読売」的な存在でした。
しかし、著書によれば、「内向的で優しい性格、高校生のころはサボテンを育てることが趣味だった」という理由で母親が格闘の道(最初は大相撲)に進むことに猛反対したという。
著書の中にこんなくだりがある。(以下抜粋)
お袋は信仰の厚い人だったので、いつも私を諭してこう言っていた。
「物を大事にしなさい。物を粗末にしてはいけないよ。物を大事にすることができれば、人も大事にできるんだからね。人に迷惑をかけてはいけないよ」
今でもお袋の言葉は、心に焼き付いている。

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こんなくだりもある。(抜粋)
今の世の中、若者だけでなく大人でも挨拶できない人が多い気がする。それは、きちんとした礼儀・挨拶の仕方を知らないからだろう。
ある武道の達人が「挨拶さえしっかりしていれば、世の中の争いごとが三分の一に減る。それが世界平和にも繋がる」と話していた。まさしく正論だと思う。挨拶は人間社会においてコミュニュケーションの第一歩である。

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あの傍若無人、人間凶器の上田馬之助が、こんな道徳的なことを・・・。その素顔とのギャップに驚かされる。
力道山の臨終を盟友のアントニオ(猪木)と看取った経緯など、まだ完読していないが、興味深い。
上田さんは、96年3月に自動車事故で頸椎を損傷し、下肢不随となり引退を余儀なくされた。以降、2011年12月21日、食べ物を詰まらせ、呼吸不全で亡くなるまで、リハビリを続けられた。約15年と9カ月。日にちにして5845日。「あの我慢強い上田さんが毎日音を上げるほどの激痛苦痛でした」と電話口でトシ倉森さんは僕に語った。
上田さんは1940年愛知県海部郡の産まれ。事故当時は埼玉の病院に入院していたが、その後は、恵美子夫人の自宅がある熊本の病院に転院。06年には夫人の故郷の大分県臼杵市に移り、そこで天に帰られた。享年71歳。
以前にトシ倉森さんから、上田さんのオリジナルTシャツを2着いただいたことがある。それ以外は上田さんと私には接点がなかった。
しかし、愛知ー熊本ー大分で親近感がぐっと湧いた。
「少数派日記」のコアな読者さまなら、みなまで書かなくともお気づきだろう。
愛知は安藤の育った地。熊本は天草の麻梨花ちゃん。大分県臼杵市はまさにショーやん(伊勢正三)の故郷である。もうひとつ言えば、著者のトシ倉森氏は天草の近くの長崎出身である。ショーやんが「風」時代に故郷・臼杵の海を思い描いて書いた曲。時代を越えて、上田さんが、同じ臼杵の海を見ていたなら、伝わるだろうか・・・伊勢正三で「海風」。