少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1601 体罰と安藤総理(光頭老老師への回答)

大先輩に対して、上からの物言いに聞こえてしまったら、まず先に陳謝しておきたい。光頭老老師の意見には、おそらく多数派の方が「その通りだ」と頷かれるだろう・・・。しかし、安藤総理は「少数派」代表なので、私見を述べさせていただきたいが、よろしいでしょうか?
はい、どうぞ!
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指導死?について、ブログ討論会


出演者 海外生活30年超 光頭老老師  少数派代表 安藤総理大臣


またもや 「指導死」 なる新語、造語が生まれた。
「いかにも、嘆かわしい」
メディアはさかんにその体罰を問題にしているが、しかし、体罰そのものが悪い訳ではない! 今時の子供達は精神的にひ弱な面もあるだろう。だから私ャー、時には体罰を与える事も否定はしない。
「同意」
スポーツに限らず、何事も心身ともに本当に強い人間を育てるためには、時には体罰も含めて厳しく指導しなければならない。しかし問題はその体罰の与え方、方法、タイミング、そして最も重要なのは、その体罰の限度と、それを受ける相手の個人差を加味しなければならない。
「激しく同意」


特に学校の先生、指導者は生徒たちの個人差を分かってなければならない。少々ぶん殴ってもへこたれない子供もいるだろうが、反面強い口調で叱りつけただけで落ち込んでしまう子もいる。チョット怒鳴っただけで泣き出すような子もいるだろう。
「気持ちは同意ですが、疑問が残る。問題は、チョット怒鳴っただけで泣き出す子をそのままにすることの方が、指導者として無責任。モンペ(モンスターペアレント)&PTAを恐れ、触らぬ神に祟りなし・・・とばかりに放置したら、その子は社会に出ても、一生泣きっぱなしになりはしないだろうか?」
体罰を与えながらも、その時の子供の様子を伺いながら、反応を注視しながら、その子の精神状態を想像しながら、愛情を持って、限度を考えて体罰を与えるのであれば、必ずその意思は子供に通じて自殺にまで追い込むことはないだろう。つまりこれこそ本当の“愛のムチ” なのだ!
「それは、激しく同意」


今回の問題の教師に限らず全ての体育会系の人間は、部下や生徒を指導する時に、上に書いたような配慮をしないからこんな事になる。そんな事も分からない先生だったら、まず先生、指導者の資格なし!
「私の経験上、体育会系でない人間のパワハラも、ネチャネチャと嫌味ぽく、ヒガミっぽくて、何度も、こいつをぶん殴って会社辞めたろ・・・と思ったけど、体育会の経験があったので我慢できました。また、スポーツの場合、肉体と精神の極限への挑戦ですから、真剣にやればやるほど、大袈裟ではなく、死と隣り合わせの狭間で凌ぎを削っています。競技をする以上、常に死や大怪我と隣り合わせ。ゆえに気の抜けた行為は大事故に繋がる。ゆえに指導は必然として厳しくなります」


単に鍛えりゃ〜良い、ってものではないだろう! 今回の問題の学校に限らず、スポーツ強豪校での指導者による体罰は過去にもたびたび表面化しているが、今回も例によって教育委員会や学校側は、兆候を掴んでいながら見て見ぬふり。
「スポーツ強豪校に進学する生徒は、ある程度、それを承知で、それを望んで来る。楽して甲子園、遊んで花園は有り得ない。ついて来れぬ生徒は淘汰され、また復活を繰り返し、自身を深く見つめなおす。個人差があるとはいえ、同じ高校生。あいつにできて、何故オレには出来ぬ?そんな問答や研究、そして自身の弱点の克服により、昨日より成長した自分に出会う。少年少女たちは、努力という名の本質を知り、その繰り返しにより、さらに強靭な精神と肉体を創造していく」


それは、以前の いじめ問題 と同じで、学校現場の 「事なかれ主義」 であり、また指導の名の下に暴力を容認しがちな 「勝利至上主義」 でしかない。
「お言葉ですが、いじめと体罰は根本的に違う問題なので、学校の見地も違うでしょう。甲子園に出たいから強豪校=勝利至上主義校に進学する。そこまで希望する生徒は、事前に、その高校の野球部が、どのような指導方針か調べてきます。それについて行けないなら、退部という選択肢もあり、いじめのように抜けられないということはありません。ですから、いじめと体罰を同じ土俵で、学校の事なかれ主義と同義扱いはいかがなものでしょうか?」


つまり、教師による体罰は子供を律するため、やむを得ず使う教育的な行為ではなく、単に戦績をあげるための強制的な暴力 であり、指導という美名の下 で暴力など不都合なことは隠される。
「まず、申し上げたいのは、まず安藤総理は強制的な暴力は老師と同じく反対です。ただし、今回は一般校の普通生徒に行われたものではなく、全国大会、日本一を目指すような場で行われたこと。場面が違います。戦績を上げることが目標で、生徒もそれを望んでいるということです。だからといって暴力を肯定しているわけではありません。体罰は行為的には暴力ですが、スポーツそのものが格闘と言う名の暴力ですから、それに参戦するしないの選択肢は個人にあります」


以前起こった大相撲のある部屋の親方や兄弟子が、弟子を殴り殺したのと同じ!
「あの事件は酷かった。プロになるには肉体も精神力も必要ですが、大相撲の稽古は想像を絶します。あの子の場合、何度も逃げたのに、引き戻されて、よってたかってのリンチ。今回のケースとは全く違います。あれは、指導ではなく、完全なるいじめ殺人」


さらに、特にスポーツ強豪校では子供を利用して、指導者が自分の地位や名誉を築くようなことが行われているのも周知の事実。ふざけんなッ!
「それは結果論。好成績を残す指導者のもとに、選手が集まるのは至極当然のこと。実力がない指導者には地位も名誉も与えられません。地位や名誉を築くまで、指導者も孤独と挫折を繰り返し、長年の歳月を費やしています。自分や家族に使う時間を犠牲にしてまで、生徒のことを親身に考えている指導者が圧倒的多数です」


学校側も体罰を容認してでも勝利を手に入れて学校の知名度を上げようとしている。アホかッ!
「それも、ある意味結果論。今回の自殺のケースは稀な例ですが、指導者が生徒を殴り殺したという事例はありません。憎くて殴るわけではないからです。スポーツで知名度を上げることも、学校経営のノウハウのひとつでいいじゃないですか。僕は愛知の高校でしたが、当時、中京高校は受験さえすれば、誰でも入れるレベルでしたが、浅田真央安藤美姫らの活躍により、いまや難関の超人気校。いいじゃないですか?」


だから、このブログでも過去何回か書いたが、私ャー学校の体育教師だけでなく、全ての 体育会系人間は大嫌いなのだ! 単純バカで、世間知らずで、とにかく スポーツが世の中全て、スポーツさへやってたら世界中が平和になる、と単純に思い込んでいる。テレビなどで彼らの言い草を聞いてたらヘドが出そうになる!
「それは老師の個人的な見解ですので、あたしゃ特にコメントはありません」


タイトルの 指導死、これは何もスポーツに限らず、今学校現場で 「子どもが悪いことをしたから指導した」 と言いながら、とんでもない非常識な事が数多く行われている。上記 いじめ問題 でも書いたが、学校の先生達の、教師として、また指導者としての資質を疑わざるを得ない!
「それは、いじめを見て見ぬふりをする教師。いじめを知っていて放置する教師。生徒がいじめ自殺したら、いじめはなかった・・・と虚偽報告する教師と学校と教育委員会、については老師のいう通り、御意。しかし、教師の体罰より、モンペの存在の方がはるかに大問題。日本を腐らせ、真の熱血教師を教育の現場から排除させ、我がまま放題し放題クソガキ社会を建設してるのは、紛れもなく入学以前の親の躾。「お手手繋いで、みんなで仲良く甲子園」に行きたい人は、そういう学校へ行けば良い。そして甲子園のアルプススタンドへ行きなさい。行けますよ。何かをつかむということは、何かを犠牲にするということ。例えば甲子園。数多の球児たちが、多くのものを犠牲にしても、その目標をつかめるのは、ほんのわずか。しかし、その努力という行為は永遠に「無駄」にはならないのです。指導的体罰もしごきもその過程の中のひとつ。それが性に合わない人は別の分野に進めばよいだけのこと。
落合博満という野球人、人間性は大嫌いですが、尊敬できる部分もあります。
彼は秋田工業高校時代、やはり上級生による理不尽ないじめや体罰が性に合わず、何度も退部を繰り返し、合同練習にも参加しません。しかし、実力があるので、試合に出れば、軽くホームランです。それでプロ入りして三冠王を連続して何回も獲る。身体も大きくありません。清原タイプではありません。野球を独自で研究し、誰とも迎合せず、孤独に耐え、鍛錬しています。
同じタイプが江川卓イチローです。チームプレーの競技でありながら、完全たる個人主義者です。しかし、明日のあるプロの世界で、しかもずば抜けた実力があるので、何の問題もありません。
集団競技は友情とか仲間意識もはぐくみます。そこには厳しい規律があり、体罰も必要です。野球が好き、でも体罰はイヤだ・・・という人は、落合や江川を目指せばいいのです。
ただし、彼らには「トモダチ」が居ません。共通点は徹底した合理主義。スポーツに体罰は必要なし・・・という考えです。それについては個人的な思想なので、安藤総理の意見はございません。長々とありがとうございました」
どういたしまして、ホイ。
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