少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1689 浄土からの声が聞こえる2

2011年3月11日午後2時46分18・1秒・・・三陸海沖で発生した未曾有の大地震から、おそらく数分後、今朝、安藤総理にメッセージを送ってきたひとりの老婆が、混乱の中、誰に看取られることもなく、静かに息を引き取られました。
地震発生当時、老婆は宮古市の総合病院のICUで、意識混濁の中、生死の間を彷徨っていました。
夢と現(うつつ)の狭間、見えては消える三途の川。渡るべきか留まるべきか。老婆に残されたわずかな生命力は留まることを選択し、その意識と肉体が、ICUという科学の箱の中で、心臓の鼓動を動かせていた。


そして地震・・・すべてを破壊した。
医療の叡智が結集された生命維持装置。しかし、電気が流れなければ、ただの鉄の箱。これほど悲しい命を乗せた箱はない。
停電・・・院内の電子機器のすべてが活動を停止し、緊急用の自家発電も破壊され、なにもかもが作動しない。医師も看護師もスタッフも患者自身も誰もが自身の命さえ瀬戸際の状況。
動けぬ老婆をひとり、ICUの箱に残したとて、誰も責められぬ事態。ましてや停電による全ての機器の停止とともに、老婆の心の臓は鼓動を止め、走馬灯を見ることなく老婆の灯は消え、積年の歴史は、建物が崩壊する激震の中で消えていった。


老婆にも美しい少女時代があった。恋もし、出産も経験した。美しい海と浜辺、そして海産物で生計を立てた家族がいた。
その尊い世界にたったひとつだけの歴史は、その肉体とともに瓦礫の一部となってしまった。
千切れた老婆の肢体を拾い集める人はいない。誰もかれもが、重症を負い、あるいは生きたまま建物の下敷きになった方もいる。不謹慎な表現を許していただけるなら、亡くなられてから瓦礫の下敷きになられた老婆は、ある意味、まだ救われたのかも知れない。


しかし、老婆にはまだわからない。自身はまだ川を越えていない。留まっているはずなのだ。
不思議と痛みはない。しかし、声が届かない。自分の声が大切な家族に届かない。どうしてなのか? 何故なのか? 老婆にはわからない。
自分がどの時間にいるのか・・・?
自分がどの世界を歩いているのか・・・?
老婆にはわからない・・・。


この世に肉体はすでにない・・・。
しかし、何が起きているのかわからない・・・?
老婆と同じ立場の人がまだまだ何千人も彷徨っている被災地。
だから、僕には行けません。ごめんなさい。


岩手県宮古市浄土ヶ浜・・・
陸中海岸国立公園の景観地。美しすぎる浜辺と、眩しく青い海。風薫る松林と寄せては引く波に刻まれた太古の流紋石。訪れて、感動を覚えない人はいないという。
老婆が生まれ育った、楽園。
天和年間(1681〜1684)、宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)がこの地を訪れ「さながら浄土のごとし・・・」と詠んだことが、地名の由来だった。


老婆が見た最後の景色。生まれ育った浄土が、目の前の三途の川のあちら側に見える。
そして死後。まだ生暖かい肉体は、瓦礫という地獄のなかで血にまみれている。
どちらが、本当の現実なのか? 老婆にはわからない・・・。
そして、老婆はここまで来た。


だが、老婆の悲劇はこれからはじまる本当の悲劇の序章にすぎなかった。
(つづく)