少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1691 浄土からの声が聞こえる4

佳子の母・美知子は、地元では有名な海女だった。
今でこそ、絶滅寸前の業種だが、観光地でもある浄土ヶ浜では、いわゆる「花形」の職業でもあり、それなりの体力と技量、なによりも強靭な精神力が必要とされる、海の女の仕事だった。
常に自身に厳しくしなければならない。観光客には華やかに見える反面、海の底は、常に死と隣り合わせる危険な現場でもあるからだ。
シーズンになると、牡蠣や帆立を獲りにもぐり、観光客に振る舞い、市場に降ろして、生計の一部とした。
安藤総理を訪ねてきたとある語り部の女性も、かつて美和子が潜って獲った牡蠣や帆立をクロネコクール便で直送していただいたことがあったという。
女性は、今でも、その天然ものの海の恵み、とりわけ、その女性の友人である佳子の母が、直接、海に潜って獲ってくれたのだという思いも含め、その時の感動と味、そして、箱を開けた時の潮の香り、浜の匂いが忘れられない・・・と言った。


母・美和子は、佳子の機転により、一命は取り留めた。しかし、半身不随という後遺症が残ってしまった。
亡くなること、あるいは植物状態になってしまうことを思えば、美和子のケースは「幸運」だった・・・と思えるかも知れない。だが、それは、当事者ではない第三者、つまりは他人から見た勝手な意見だと、人類は常にそう認識した方がいい。当事者の苦痛、苦悩は本人にしかわからないからだ。
特に美和子、小柄だが海妬けした肌には海の女としての体力、気力が、一線を退いたとはいえ、そのたくましさがみなぎっていた。だが、それゆえ、動かすことのできぬ自身の半身に対して、人知れぬジレンマとの闘いがあった。


思うように告げたいことも告げれない。入浴も排便も食事も、誰かの手をかりなければままならない。夫の拓馬(仮名)は海で生きた男。生まれてこの方、家事などしたことがない。洗濯も掃除も、ましてや食事の支度など、美和子には耐えがたいありさま・・・。いや、感謝しよう・・・と不器用な男の懸命さに、何度も何度もそう思うよう心がけるのだが、思えば思う気持ちが強いほど、逆に自身の不遇を呪い、夫や、義母に対して、どうしようもできない自身への呵責の念を日々、重ねていったのだ。


反面、嫁ぎ先の東京から来る佳子の励ましの電話は、心の安らぎとなった。
あの日、あの時、佳子と会話をしていなければ、今はすでに、この世にいなかっただろう・・・。佳子からの電話、あるいは待ち遠しく思っていた。
少なくとも、あの14時46分までは・・・。
(つづく)