少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1694 浄土からの声が聞こえる7

マスコミ、特にカメラが入ることが許される避難所は、それでもまだマシと言える・・・。
テレビ画面に映せる範囲の映像・・・それでも、視聴者の心臓を激しく揺さぶりました。しかし、実際の現場は、あんなもんじゃありません。
本来は協力し、助け合うのが人間の基本です。しかし、極限状態の中で、届かぬ食糧と物資。募る不安と、親族友人知人の安否、積る雪の寒さ、止まぬ余震、錯綜する情報、流言、いたるところで被災者同士の口論、少ない食糧や物資の奪い合い・・・・。
誰もが、自分自身のためではなく、幼い我が子、老いた両親、あるいは負傷者や病人のために、必死で、物資に群がった。
秩序はわかっている・・・それでも本能が優先する。動けぬ人は置き去られ、津波から救われたにもかかわらず、避難所で息を引き取る人が続出する。拓馬はやっと手に入れた一枚の毛布で、美知子をくるみ、自身は厚手のジャンパー一枚で一週間を過ごした。
半身不随の妻をひとり残して、市民病院の老母を助けに行くことは最早、不可能だと、拓馬は悟った。
この余震はあなどれない。自分が留守の間に、また大地震が来たら、妻は間違いなく建物の下敷きになってしまうだろう。拓馬はひとり、美知子の居ない場所ですすり泣いた。


わずかに回ってくる水と乾いた食糧・・・。
拓馬は、ほとんど手をつけず、パサパサの食糧を水に浸して美知子の口に運んだ。
「死にたい・・・、もう死にたいから、何も食べさせないで・・・」
美知子は拓馬に、ロレツの回らない口でそう言い、涙した。
何もかも不足する避難所生活。
床の上に敷かれた防寒用の段ボールは3枚重ねても、薄い、たった一枚の毛布を突き抜け、身体を芯まで冷やす。ただでさえ、血の循環が悪い、美知子の半身は石膏でできたアトリエのオブジェのように硬直したまま動かなくなる。
水の流れない水洗トイレは、一夜にして劣悪な肥溜めとなり、男性でも入ることが困難な状況になる。誰のものかわからぬ便が、便器からあふれ、もう足を支える踏み場もない。男たちは外部で用を足すこともできるが、女性はそういうわけにはいかない。ましてや、自身で動くことができない美知子には、当然だが、拓馬の手が必要だった。
だが、拓馬が女性トイレに入るわけにはいかない。当初は親切な御夫人方が、手助けをしてくれた。しかし、半身不随の女性を和式トイレで用足しさせることは、想像しただけで困難極まりないことがわかる。まして、糞尿で足の踏み場もなくなるとどうなるか・・・。
地元では名のある海女だった美知子。どれだけの観光客と記念撮影したかわからない、千や二千という単位ではないだろう。
そんなプライド高き女性が、自ら排便も排尿もできない辛さ・・・。
美知子は排尿排便を極限までこらえ、泣きながら、下着の中でそれを漏らす。夫にも、誰にも言えない・・・。
生暖かい尿は、放尿の安堵とともに、ほんのひと時だが、下半身を温め、久しぶりの温もりを感じるのだが、それは瞬く間に床下からの冷気に冷やされ、まるで氷が張りついたかの寒さで、美知子から体温を奪い去る。
昼も夜も関係なく続く余震と寒さ・・・、湿った・・・というか尿でびしょ濡れの下着の不快感、不安、悲しみ・・・、そんな状況下で、眠れる肉体がもしあるとするならば、それはもう、息をしない肉体しかないだろう。


翌朝、隣で眠る拓馬が異臭に気付く。
ダンボール一枚隔てた、お隣さんに、拓馬が頭を下げる。
美知子は、寝たふりをして、そんな夫の姿を見て、また涙が止まらない。
「死にたい 死にたい 死にたい・・・」心の中で何度そうつぶやいたことだろう・・・。
拓馬は美知子にこう言った。
「我慢さしなくたっていいっぺよ。おでがなんとかするちゃね」
美知子は涙しながら「死にてえ 死にてえ 殺してけろ とうちゃん」と拓馬にしか伝わらぬロレツで拓馬の腕を揺さった。
なんとかする・・・と言っても、どうにもならない現実があり、それを拓馬も美知子もわかっている。
「な〜んも、飲み食いしなきゃ、こんなにならんですむっぺや〜」と美知子は、そう言って、頑なに口を開けず、拓馬が配給を食べさせようとしても、飲食を拒否し、何度も自殺を考えるようになった。


無理もない、美知子の汚れた下着を洗う水もなく、着替えもない。かといって取り替えぬわけにもいかず、放置すれば、その匂いで周りに迷惑もかける。拓馬は、瓦礫をかきわけ、海まで降り、下着を海で洗っては、また避難所に戻る。その間の二時間は美知子を置き去りにしなくてはならない。一応、お隣さんに声をかけていくものの、いざとなればどうなるかわからない。とにかく自殺しないように、それだけでいいですから、どうか見ていてください・・・と懇願するのが精いっぱいだった。


さらに、美知子の下半身を洗うことも辛かった。我々がテレビ映像で見るように、避難所にプライバシーはない。薄いダンボール一枚が唯一の境界線だ。美知子は、下着の履き替えや、洗浄の際、下半身を人前にさらさなくてはいけなくなる。拓馬は知り合いのご婦人たちに懇願し、4人で毛布の壁を作り、ひとりのご婦人に洗浄と履き替えを依頼した。その間じゅう、美知子はずっと、こどものようにしゃくりあげていた。
「いいのよ、奥さん、お互いさまっぺや〜」とご婦人たちが、明るく接すれば接するほど、美知子の涙声は大きくなった。


死んでしまえば、こんな恥ずかしい目にあうこともなかった。
夫も義母を助けに行くこともできた。
このわずかな、避難所の食糧を生きたくない自分のためではなく、生きなければならない、子供たちに回してあげたい。
排便や排尿の我慢からも解放される・・・。
夫や、他人に迷惑をかけなくてすむ・・・。
寒い・・・。
佳子ちゃん・・・どうしているのかな・・・かあちゃんは死にたい・・・
ごめんね・・・ でも かあちゃんは本当に死にたい・・・
美知子は眠ることなく目を閉じ、避難所の騒然、雑音の中、モノ言えぬ口、動かぬ身体、視覚と聴覚だけが機能する生き地獄の中にいた。
(つづく)