1698 浄土からの声が聞こえる11
大震災から一夜明けた3月12日土曜日、佳子は二人の子供を部活に送り出した。自身は普段のように、トーストを一枚焼いたが、完食することは出来ず、ため息をつきながらコーヒーをそっと口にした。
情報は欲しい。欲しいが、テレビを点けるのは恐い。佳子は高鳴る鼓動と葛藤しながら、リモコンのスイッチを押した。
テレビの画像のほとんどは福島第一原発に、ほぼ固定され、佳子が知りたい岩手県宮古近辺、願わくば両親が住む浄土ヶ浜の情報が欲しいという期待は反映されなかった。時折、宮古からほど近い釜石が壊滅したという報が流れる。佳子の不安は、何度かけても繋がらぬ父・拓馬の携帯と正比例して積もり、自然と涙が溢れてきた。
「おとうちゃん、どうして出てくれないの? どうして?」
声にはならない声で、佳子は叫び続けた。
深夜遅くまで、ネットで情報収集してくれた夫も、大きな成果はなかったと、寝不足の顔で起きてきた。この日も休日出勤で出社しなければならない夫の朝食を作るため、佳子は再び台所に立ったが、心はそこになかった。
「行ってくればいい」
佳子の背中に夫が声をかけた・・・。
「ほんと? いいの?」
「とりあえず、行ってみなよ。だけど、鉄道も道路も寸断されてるみたいで宮古までは行けないらしいぞ。テレビでは仙台まで行くのがやっとみたいだって言ってる。でも、ここに居ても落ち着かないだろうから、行っといでよ。オレも来週末は仕事休んで行くから・・・・」
「ほんと?」
「ほんとだよ。だけど二次災害の恐れもあるから、なるべく現地に近づくなという声もある。放射能も漏れてるみたいだから、常に情報にも注意してな。現地には水も食糧もないみたいだから、リュックに入れて持って行きなさい。でも、危ないと感じたら、すぐ戻ってくるんだぞ。それが条件だ。子供たちにはオレから言っておく。とにかく、まだ余震も続いているから、本当に、危険を感じたらすぐに、戻ってこいよ」
佳子は、涙をぬぐいながら、うなづき、すぐに用意をしようとしたが、何から用意をして良いのかわからない。佳子がこれほど動転する姿を見たのは、夫・昌男にとって初めてのことだった。
みかねた昌男が「オレがリュックを用意するから、お前は自分の着替えだけ用意しろ。あと、シャワーも浴びておけ。現地じゃ風呂なんてないからな」
昌男は自分のリュックに冷蔵庫や食料庫からチーズやカロリーメイト、コンビーフ缶詰やチョコレート、キャンディーそして飲料水と、買い置きのホッカロン、小型ラジオと詰め替え用の乾電池、携帯の充電器と軍手、ティッシュやタオルを詰めた。
まだふらふらする佳子を伴い、昌男は最寄の駅まで歩いた。
普段はセレブな佳子だが、この日の出で立ちはジーンズにスニーカー、フード付きのトレーナーに、汚れてもいいユニクロのダウンジャケットだった。
「とにかく現金が必要だろう」と昌男は駅前の銀行のATMで30万円を降ろした。
「えっ?こんなに?」佳子は驚いた。
「いくら必要かオレにもわからんけど、少ないより多めの方がいいだろう。でも火事場泥棒とか、悪い奴も多いから、お金だけは取られないようにパンツの中に入れとけよ・・・」
昌男の精一杯の下ネタジョークに、ようやく佳子が微笑んだ。
「いいか、危険だとおもったら、すぐに戻って来いよ。それが約束だ。大丈夫、お父さんもお母さんもばあちゃんも、絶対にみんな無事だよ。地震や津波に負けるようなヤワじゃない。それより、お前が二次災害に巻き込まれたら、それこそお母さんたちは悲しむからな・・・」
佳子は無言でハンカチを瞼にあてた。
佳子は東京駅から故郷の岩手・浄土ヶ浜に向かおうとした。
しかし、すでに、この計画が大甘だった。
前日の大地震で首都圏も大打撃を受け、未曾有の帰宅困難者は東京だけでも352万人、首都圏全体では515万人を記録、被災地は当然として、都心部でさえ、交通網の麻痺は修復されず、国鉄・仙台駅は壊滅され、福島にさえ行くことは出来ないという。
佳子の両親が住む岩手県の浄土ヶ浜から東京まで、直線でおよそ500キロ。国鉄を利用して、そこへ向かうには、主に二つのルートがある。二つともまず東京から約300キロの仙台を通過しなければならないが、仙台駅は壊滅して汽車の乗り入れは不能。仙台空港も津波で水没した。
佳子は普段の帰郷の際、仙台から約100キロ先の花巻で、在来線に乗り換え遠野、釜石を経て海岸沿いを北上するコース。海が光る、美しい景観が続く佳子のお気に入りのコースだ。
もうひとつは、花巻の先、仙台からおよそ150キロ先の盛岡まで向かい、そこで在来線に乗り換え、宮古に向かう。山と田んぼだらけの田園風景の中、汽車はのんびりと走る。右手には標高1917メートルの早池峰山がそびえ、国定公園にも指定されている。
海あり、山あり、川あり・・・まるで絵に描いたような「うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川」が流れる故郷岩手。これまで、遠い道のりだが、気がつけば当たり前のように帰省していた故郷。東京土産の紙袋をたくさん下げて帰省した故郷。幼い子供を連れ、孫の笑顔を楽しみに待つ両親のもとへ、帰省した故郷。世界に誇る日本の国鉄は一分一秒の遅れも無く、正確安全に、帰郷人たちを、待つ人たちのもとへと送り届けてくれた。
その国鉄が、福島へさえも行けない・・・という。
佳子は泣きたい気持ちをおさえ、ごった返す東京駅の構内で、刻一刻と状況の変化を告げる、国鉄職員の叫びに近いアナウンスに耳を澄ませた。
そして、自身と同じような出で立ちの人を数多く見る。
「おたくはどこまで・・・?」
年配の婦人に声をかけられた。
「岩手の、宮古の先の浄土ヶ浜まで行きたいんです・・・」
「そうなのお・・・あたしは、石巻なんだけど、仙台までも行けないのよお・・・」
婦人も崩れ落ちそうな不安な表情で佳子を見つめてた。
婦人の眼から、一筋のしずくがこぼれたとき、おさえていたものがこらえきれなくなり、佳子は声を出して泣いた・・・。名も知らぬ、偶然に出会った婦人にしがみついて、声を出して泣いた。
「大丈夫、大丈夫だっぺ・・・、大丈夫だっぺ・・・」
婦人はそう言って、抱いた佳子の背中をさすった。そして婦人も泣いた。
スーツを纏ったビジネスマンたちが、何人も何人も、何事もなかったように、ふたりの横を通り過ぎていった。
(つづく)