少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1699 浄土からの声が聞こえる12

東京駅のアナウンスは、佳子にとって耳障りの良いものではなかった。
行けるところまで行こう・・・と思っていた佳子だが、福島まで行けぬ状態では、故郷の岩手までは、遙か遠い道のり。夫の昌男がいう通り、二次災害に巻き込まれる危険性すらある。だから迷った・・・。
東京駅で偶然知り合った、石巻の婦人との身の上話が、少しだけ佳子の心を癒した。その婦人は、たまたま東京の次男坊の孫の顔を見に上京していたとか。一緒に来ていたご主人は、仕事の関係で地震の当日の朝、先に石巻に帰っていった。漁業関係の事務をしていたという。
本来なら、その婦人も一緒に帰る予定だったが、あまりにも孫が可愛くて、予定を変更し延泊して東京に残った。「孫があたしの命を救ってくれただっぺ」とほほ笑む傍ら、やはり連絡のつかない「おどちゃんが心配だっぺや〜」と嘆き、長男夫婦、長女夫妻、まだ嫁に行かない次女のことなど、まったく連絡がとれない家族親族の安否につくり笑顔を見せた。


佳子も両親のこと、特に半身不随の母のこと、入院中の祖母のことを話した。東京駅は人で埋まり、故郷の家族を想う人、携帯で仕事の連絡を取り合うスーツの人、人波をかき分け奔走する国鉄職員、からっぽの駅売店、多くの人々の多くの思いが、高い天井まで疼き、窒息寸前の薄酸素と、押し潰されそうな気圧で、人々を圧死させようとしていた。


いつの間には、外は夕闇が迫り、まるで冷たい海底をさまようような、佳子は、そんな得も知れぬ心細さに襲われていた。
宮古の市民病院のICUの中で被災した、佳子の祖母が、実際にこの時刻、倒壊した建物で肢体は千切れ、津波により、その肉体は冷たく暗い、海の底に持っていかれていた。
佳子の想像をはるかに凌駕した、地獄絵図が現実として、同じ地球上、遥か、いやわずか500キロ先の故郷・浄土ヶ浜で、この瞬間も続いていたとは知る由もなかった。


佳子は、ふと、諦めることにした。
何故だかわからないが、ここに居ても仕方ないと感じた。
ただ、まだ海の底から抜けることが出来たわけではない。自分にも大切な子どもと、夫がいる。佳子は、携帯の充電器など個人的に必要なものだけを取り出し、それでも東北行きの汽車を待つという石巻の婦人にリュックごと託した。「どなたか必要な方に使っていただいてください。夫が用意してくれました」
「奥さん、ありがとね。勇気出そうねえ、元気出そうねえ、きっとみんな無事だっぺや〜。奥さんの家族も、わだすの家族も・・・」
婦人はそう言って、また泣いた。佳子も泣いた。涙が枯れ果てそうになった。


3月12日、土曜日夕刻。佳子は、東京駅から、来た道を戻った。夫には、携帯で事情を話していた。駅に着くと、夫と二人の子供が迎えに来てくれていた。
嬉しかった。嬉しかったけど、いつも帰郷の際、宮古の駅に、小さな軽トラックで迎えに来てくれた父や母を思い出し、また涙が溢れてしまった。
「おつかれ、きょうは外で食事しようか」と昌男が言った。
佳子は無言で頷いた。気がつけば、今日は、朝食のトーストを少しかじっただけで何も口にしていなかった。
子供たちの手前、極めて平常心を保とうとしたが、駅前のファミリーレストランの他のテーブルの東京の家族たちの笑顔と喧噪が、佳子には悲しく映った。