少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1700 浄土からの声が聞こえる13

「たとえ百寿生きようとも 真実知らざれば 酔生夢死」
震災から2年が経過した2013年3月16日の東京新聞中日の松風庵主の本日の運勢・・・。酔生夢死とは「何のなすところもなく、いたずらに一生を終ること」の意。
昨夜も浄土ヶ浜の海底から、老婆が私を訪ねてきました。ただ病室には入って来ず、廊下を行き来し、時には佇み、行き場の無い笑みを、遠慮がちに浮かべていました。
私は婆さんに話しかけました。「何をどうして欲しいのですか。どうしたら、お婆さんの役に立てるのですか?」と。
婆さんは、ただ静かに微笑むだけで、何も言わない。海焼けした、赤黒い肌、深いしわ、小柄だけど健康的、すがるような眼差し。
婆さんの要求が、今朝の朝刊にあった。冒頭の一行だ・・・。


まだ婆さんは三途の川を渡り切っていない。
千切れた肉体はすでに川を下り、深い海底へと消えた。川に流れる遺体を縫って、その中を裸足で渡ってくる人々が後を絶たない。
しかし、老婆が振り返る橋の上にも、大勢の人々が恐怖に震え、眼下を流れるその川の中に、自分の遺体を探している。
もし見つかれば、まだ間に合うかも知れない。海底に引き込まれる前に、見つけて、その肉体に飛び込めば、まだ戻れる。
橋の上には、肉体を亡くした、そんな魂たちが、この世と、あの世の狭間で彷徨っていた。


肉体をすでに流された老婆は、自分がどこにいるのか。ここが、どういうところなのか。つらい現実が、少しずつ理解できてきた。
でも、まったく納得がいかない。自分はまだ来るつもりはないのだと。
残してきたものが何だったか、まだよく思い出せないが、自分は戻らなければならないのだという思い。長かったと記憶する人生が、一瞬にして閉じる矛盾。何の準備もない。遠い遠い旅へ、着替えも財布も持たず、気がついたら汽車に乗せられていた・・・そんな子供のような心細さ・・・大切な子どもや孫やひ孫たち・・・友達も、おじいさんのお位牌も・・・旅で着るはずだったお気に入りのコートもバッグも、み〜んな置いて来てしまった。


「復興」「希望」「明日」・・・・
華やかな未来を彷彿させる文言が乱立する一方で、被災から立ち直れないで苦しんでいる人々や、老婆のように彷徨っている霊が多数存在する。
老婆の無念の念はまだ続き、このまま去ることはできないという。
(つづく)