1723 浄土からの声が聞こえる16
雪さえ降った寒い寒い3月11日を耐え、桜咲く春の記憶はない。
5月の風は、肌にさわやかに、心に残酷に香り、梅雨の季節は引き籠りひとり泣いた。むしばむ季節にたかりくる害虫が憎らしく、テレビのニュースには耳を塞いでいた。夏休み子供の声が騒々しく、また子供の声に力をもらった。
ひと時も、一秒たりとて、いまだ行方不明の両親と、祖母のことを忘れた時はなかった。家族や、励ましてくれる友人知人の前では気丈に振る舞った。しかし、そのすべてが空虚な上っ面だけの自分に、佳子は気付いていた。
どこの誰と会ったのか、このクッキーは誰のママが焼いてきてくれたのか?即座に思い出すこともできない状態だった。
元来、どちらかというとママ友の間ではリーダー的、あるいは仕切りの幹事役というのが佳子のイメージだった。だから取り巻きママたちも多い。
佳子をいたわるために、あるいは元気づけるために、多くが変わるがわり集まり、なるべく佳子を孤立させないように、グループは誰からともなく話し合い、不定期ながらローテーションを組んで佳子を見守った。裏を返せば、それほど佳子の憔悴が激しかったともいえる。
生きているのか、亡くなっているのか、生きているならどこにいるのか、どうして連絡をくれないのか・・・・。残念だが、夫の昌男を含め、佳子以外の人間は、すでに最悪な事態を予想し覚悟する準備をはじめていた。
もし、被災地に居れば、きっと、同じような境遇の人々がいて、悲しみを分かち、希望を託し、手に手を取り合って、同じ気持ちで涙し、また次の朝を迎えることができただろう・・・。
しかし、都会の現実は違った。震災からまだ半年も過ぎていないというのに、街は以前と全く同じ。トヨタの新車が走り、汽車は時刻通り来る。OLは化粧を凝らし、綺麗なおべべでキャリアを振り撒く、サラリーマンは忙しさを自慢するかのように、携帯を肩と耳で挟み、歩きながら大声で商談する。家に帰れば子供たちが関西芸人のトーク番組で大笑いして、亭主はまた残業と土日出勤が始まった。
当事者以外から、わずか5か月前のあの地震と津波が忘れ去られそうとしている。それは仕方ないことなの?佳子は自問した。
この狭い日本、わずか500キロの差なのに、佳子が感じた温度差はそれ以上。まるで、地球の裏側か、違う惑星での出来事のように、まわりが感じ始めたことに日々、気付いていた。
しかし、そんな愚痴めいたことを、当事者の口から切り出すことはできない。東北地方の我慢強い女はひとり堪え、布団の中で両親や祖母を思い、震えながら泣いた。そしてごめんね、ごめんね、ごめんなさい、と何度も何度も謝った。
(つづく)
検索して探した映像ではありません。偶然飛び込んできた映像です。老婆の伝言だと思います。宮古地方の津波映像ですので、気分が悪くなりそうな方はクリックしないでください。