1724 ありがとうが言えない
だからといって、私には心から「ありがとう」の五文字を口に出せません、でした。少なくとも、この日までは・・・。
特にさくら舞うこの季節になると、私はひとりふさぎ込む。もう30年も前、私がまだ14歳、中三の春休みのこと、満開のさくらの中で行われた卒業式、あれが最後に見た眩さにきらめく希望のさくらでした。
その週末、私の中学の卒業と高校の入学祝いを兼ねて、家族でお花見に行こうと、父が計画してくれたのです。母が病弱ということもあり、私は父との時間が長く、父親っ子でした。高校三年になる姉と私が花見弁当の担当でした。滅多に外出することもない母も、お花見を心待ちにしていました。
しかし、週末のお花見は永遠にかなうことはありませんでした。
深夜の突然の電話。姉が出ました。姉はすでに休んでいた母を起こし、すぐにタクシーを走らせました。姉は私を動揺させまいと「すぐに戻るから、あと頼んだわよ」と作りかけの料理を私に任せ、私はひとりで花見弁当に没頭していたのです。
明け方、姉だけが戻ってきました。「佳世ちゃん、ごめんね。きょう、お花見行けなくなっちゃった・・・」「そう・・・」私は、なんとなくですが、そんな予感めいたものを感じていました。「パパ、入院になっちゃったんだ?」私は姉にそう問いかけました。すると、姉は無言で首を横に振り、突然、声を上げて泣き出したのです。姉のこんな姿を見たのははじめてです。
「やだやだ、どうしたの、お姉ちゃんどうしたの・・・・」もうそこから先の記憶は、私にはありません。
深夜、販売店に牛乳の配達をしていた作業中の父に、ノーブレーキの車が突っ込んできたのです。花見帰りの飲酒居眠り運転の乗用車でした。父の身体は半分に千切れてしまったそうです。それでも、父は最後まで家族の名前を呼び続けていたと、救急隊の人から、姉が聞いたそうです。半年後、母は心労が元で亡くなりました。私は、母の今わの際で「パパを殺した人をあの世でも恨んで」と母の耳元でつぶやきました。姉にはひどく叱られました。でも、本当に許せなかったのです・・・もちろん今でもそうです。
私には、この春、成人式を迎えた大学生の息子がいます。運転免許も持っています。仲間たちとの花見のあと、仲間の何人かが、飲酒した仲間の運転する車で送ってもらおうということになったそうです。その中には部活の先輩もいて、逆らうことなど許されない世界なのですが、息子は身体を張って、仲間の飲酒運転を阻止しました。私が何度も何度も息子に聞かせた父の悲劇を、息子は泣きながら「うちのおじいちゃんが・・・」と会ったこともない祖父のことを、仲間に訴え、みんな納得してくれたそうです。
「パパ、ありがとう」あなたが残してくださった命が、いまこうして、あなたの気持ちを繋いでいます。
と、ある女性からの依頼(リクエスト)を受け、書いてみました。