少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1737 さよなら東急東横屋上公園

デパートの屋上は、我々昭和生まれ、戦後世代にとって夢のワンダーランド。よそ行きの一張羅を着て、お子様ランチを食べて、オモチャを買ってもらい、そして屋上のサルが運転する機関車に乗るのが、ブルジョアの王道。年に一度か二度、親父のボーナスに合わせ連れてってもらうステータス。新宿の小田急京王百貨店の屋上が「キング・オブ・ザ・屋上」でしたが、京王はすでにビアガーデンに成り下がり、商業主義の権化となり、小田急はホームレスの日向ぼっこの憩いの場と化しています。
仮面ライダー1号、2号が、まだ乳飲み子のころ、小田急新宿と渋谷東急東横の屋上にはお世話になりました。キティちゃんの自動車や、アンパンマンの汽車ポッポでごまかし、必ずつきものの屋上のペットショップで亀や兎や金魚を見て、綿菓子でも与えれば一丁上がりの時代だったのに・・・。
おそらく1号も2号も、そんなこと記憶にないでしょう・・・。


つい先日、東急東横の屋上で九州展で買った熊本の弁当を食べました。もう数少なくなったベンチでは、ひとり暮らしのお年寄りたちが、地下で買った弁当をたべ、給料が少ない地方出身のOLが、自作のお手製弁当をひとり広げ、リストラ寸前のお父さんが、アンパンと白牛乳で昼食を済ませ、マックの100円バーガー2個を持った若いサラリーマンが現れ・・・と、明らかに、格差社会の敗北者たちが、それでも、少しでも天に近い場所で、厳かなランチをいただこうという気分で、そこに集まっていたのでした。


ホームレスの板橋くんに、紹介された、新宿丸井の屋上は、いわば勝ち組のたまり場で、綺麗です。この古びた東急東横の屋上が、私は好きです。見納めに行きたいのですが、外出許可が下りません。


ーーーーーーー以下ネット記事転載ーーーーーーーー


屋上遊園地>渋谷の東横「プレイランド」60年の歴史に幕

毎日新聞 3月29日(金)11時15分配信


かつて親子連れでにぎわったデパートの屋上遊園地が、また一つ消える。大規模な再開発が続く東京・渋谷。駅に直結した東急百貨店東横店東館が今月末で閉店するのに伴い、約60年前から営業してきた「ちびっ子プレイランド」も31日で営業を終える。「デパートの大食堂で食事した後に遊園地で遊ぶのは、あこがれだった」と惜しむ声もある。【安高晋】
東館は1934(昭和9)年に完成。戦後間もなく、屋上に「ちびっ子プレイランド」が誕生する。混乱期だけに正確な資料は残っていないが、経営する「ニチゴ」によると、47〜48年ごろという。まだ周辺には空襲の焼け跡や闇市が広がっていた。51年には、館内に日本初の食品名店街「東横のれん街」もできた。
プレイランドは約1700平方メートルの敷地に、山手線をまたいで隣のビルの屋上とつながるロープウエー「ひばり号」や、観覧車などの遊具が並び、休日には親子連れの行列ができた。「今はビルがひしめく渋谷だが、当時は大きな建物も少なく、デパートを訪れることが一つのステータスだった」と同社オーナーの鈴木徹也さんは振り返る。
70年代半ばまでが人気のピークだった。インベーダーゲームの流行が転機になる。ゲームセンターや家庭用ゲーム機の普及で、乗り物中心の屋上遊園地への客足は遠のく。少子化も拍車をかけ、近年の売り上げは全盛期の3分の1に。デパートの、相次ぐ高層ビルへの建て替えも契機になった。最盛期に首都]。「かつて遊んだ子供が大人になり、子や孫を連れてくるようになった。『親子4代目のデビューです』なんて言ってくれてね」。昨年できた高層商業ビル「渋谷ヒカリエ」の窓から屋上遊園地を見つけ、訪れる若者も出てきたという。
閉鎖を知り、転居先の米国から子連れで駆け付けた女性もいた。土地柄、子や孫連れの芸能人も多く訪れた。「渋谷のオアシス」は惜しまれつつ幕を下ろす。跡地には、46階建ての駅ビルが建つ。30、31両日の営業は午前10時から午後8時の予定。
ーーーーーーーーーー以上ーーーーーーーーー


しつこいが、さいごなのでもう一回。


さくらの季節に散りゆくことは寂しい。破壊すりゃいいってもんじゃない。