1742 良子さんが残したもの
昨夜、4チャンネルのプロ野球開幕戦、読売VS広島東洋を見ながら、チャンネルサーフィンして、坂口良子さんの追悼番組、TBSの尾崎健夫氏との挙式(昨年夏)の再放送を見ました。尾崎氏の故郷の徳島県宍倉という人口3000人規模の町・・・それが尾崎三兄弟の故郷。他に2人の姉妹がいて、合計5きょうだいだったんですね。町内にある、リビエラホテルししくらという小さなホテルでの大物同志の挙式。爆笑でした、久々に、温かい家庭を見せられた分、当時の良子さんのこの上ない、笑顔が焼き付いて、さらなる無情が、会ったこともない私の胸さえ締め付けます。
このリビエラホテル・・・ジャンボさんが投資でもしてるのかな?余談ですが、一度だけ、アメリカ西海岸のリビエラカントリークラブで開催された全米オープンでジャンボ尾崎さんを取材したことがあります。ゴルフ無知の総理だからできた取材で、ゴルフ担当記者は、その時、ピリピリムードのジャンボに恐れをなして、声すらかけられなかったそうです。
40億円もの借金を完済し、超大物女優なのに、世間に発表されることもなく、すでに肉体は灰になってしまった坂口良子さん。彼女がこの世に残したものを、注意深く受け止めることができたらなあ・・・と深く思います。
ーーーーーーネット記事転載ーーーーー
坂口杏里、母看取った「今までありがとう…」
サンケイスポーツ 3月30日(土)7時0分配信
女優、坂口良子さん(享年57)が横行結腸がんと肺炎の併発によって亡くなったことが29日、発表された。この日、故人の遺志で密葬が営まれた後、喪主を務めた夫のプロゴルファー、尾崎健夫(59)と、前夫との長女でタレント、坂口杏里(22)が連名で「これから家族全員力をあわせて頑張ってまいります」とコメント。臨終の際、杏里は女手一つで育ててくれた母に感謝の言葉を送り、継父とともに母の分まで一生懸命生きていくことを誓った。
「今まで、ありがとう…」
27日午前3時40分、眠るように息を引き取った坂口さんに、杏里は泣き崩れながらも、そう声を振り絞った。温もりの残る母の手を、しっかりと握りしめながら。その隣で健夫も悔し涙を流し続けた。
関係者によると、26日に容体が急変し、健夫、杏里、長男(23)ら家族に看取られ、天国へ旅立ったという。28日に通夜、29日に告別式が坂口さんの遺志で密葬として近親者のみで執り行われた。棺には2011年9月放送の遺作ドラマ「渡る世間は鬼ばかり 最終回スペシャル」の台本などが納められ、荼毘に付された。斎場には満開の桜が咲き誇り、風が吹くたび花びらが舞い落ちた。
坂口さんは2011年夏ごろに体調を崩し、その後の精密検査で横行結腸がんが見つかり入院。昨年、手術の影響によるとみられる腸閉塞とインフルエンザから肺炎を併発したという。1度は退院したものの、今年2月末に再入院。女性誌に重病を報じられた際には、ブログで復帰への前向きな気持ちを綴ったが、叶わなかった。
坂口さんは86年に19歳年上の不動産会社社長と結婚し、長男と杏里をもうけた。しかし、杏里が3歳だった94年に離婚。総額40億円もの元夫の借金を返済しながら、2人の子供を女手一つで育ててきた。そんなとき出会ったのが健夫だった。
98年から交際を続けたが、杏里は健夫を拒絶した。昨年1月のトーク番組で「ママが取られちゃうみたいで寂しかった。なかなか認められなかった」と回想している。坂口さんが健夫と再婚したのは昨年8月。08年に芸能界デビューした杏里がバラエティー番組で活躍し始め“独り立ち”し、年齢でも成人した後だった。
結婚後は坂口さん、健夫、杏里の親子3人で、東京・渋谷109へ買い物に訪れることが何度もあった。杏里は母との共演番組で、健夫について「初めての結婚で初めての子供が私なんですよ。なので、すごく楽しんで(服を)買ってくれますね」とうれしそうに語っていた。杏里にとっても“初めて”の父親だった。本当の親子になれた瞬間でもあった。
ーーーーーー以上ーーーーーーーー
「春に咲き 春に散るらむ 濡れさくら」
「天高く 舞えよ昇れよ 白羽根の」
(これは、ふたつとも平成芭蕉の句です・・・。
解説1=美しきさくらの寿命の儚なさよ・・・雨に濡れ、涙に濡れ、枝にしがみつき、風に舞うのを拒む姿には、無情さえ感じる。
解説2=白羽根は桜の花びら、どうか、この白羽根が、無事に天まで届きますように・・・)
「花は華 永遠(とわ)に散りらむ 花びらの」(平成芭蕉)
良子さんに捧げたいと思います。