少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1743 末期癌とどう向き合うか

「癌」という病とどう向き合うが・・・。
新聞記者になり、スポーツは自分でなくても、他に有能な記者がたくさんいるので、根詰める必要はない・・・とすぐに感じていました。
お会いしたことはありませんが、東京新聞の先輩記者で、当時、すでにNYで癌と闘いながらフリーランスをされていた千葉敦子さんの著書に刺激を受け、退社後、紆余曲折しながら、月刊誌「がんと生きる」創刊、末期癌患者の終末施設「安曇野ホスピス」設立、そして「小児癌専門施設」(米国のマクドナルドハウスの日本版)の設立の3つの事案を具体的に目指しました。
 私が生きている限り、その目標は生きています。「安曇野ホスピス設立委員会」は現存しますし、きょうのニュースでは神戸に19家族が生活しながら、小児癌の治療ができる家庭のような施設が完成したそうです。
 京都にある「わたしの仕事館」なる最低最悪な箱ものを、日本政府は天下り用に、今後もまだまだ造り続ける予定にブレはありません。どうして、医療や福祉、教育にまつわる、本当に必要な施設を造らないのか? それは、必要なものをつくると、人がたくさん来て注目度がハンパなくあがり、不正や無駄遣いがすぐにバレてしまうからです。ゴメンナサイね、本当のこと書いて。
 

 現在、私の周りに二人の末期癌患者がいます。ひとりは40代後半。ひとりは30代前半です。どちらもステージ4、手術不可能とのことです。西洋医療が困難でも民間治療、サプリメント、あるいは宗教の力で克服された方は沢山いらっしゃいます。情報は命です。


 今回の、この神戸の医師のケースもひとつの考え方だと思いますので、掲載したいと思います。私自身は、還暦、つまり60歳という本卦還り(ほんけかえり=再び生まれた干支に戻る輪廻転生のプロローグとでも言おうか)した後は天寿と思っていますので、それまでは、なんとしても生きるべきだと思います。

ーーーーーー以下ネット記事転載ーーーーー


がん名医が末期がんに…それでも「治療しない」と語る理由

女性自身 3月30日(土)7時0分配信


「誰にも言っていませんが、余命は1年もないでしょう」と自らの余命を語るのは、神戸市「新須磨リハビリテーション病院」院長の神代尚芳医師(67)。これまで約200人のがん患者を看取ってきたという神代医師。そんな彼が今、末期の肺がんに侵されているという。

がんが見つかったのは、昨年5月のこと。手術は、親友の医師により7月に行われた。だが現在、神代医師は抗癌剤放射線治療などの治療を行なっていないという。「『大細胞型』のがんは抗がん剤が効きにくく、放射線治療も効果がないんです。だから、もう対応のしようがない。飲んでいるのも胃腸薬ぐらいです。もちろん、自分がこれまで患者に言ってきたことと違うことをするわけにはいかないという思いもあります」

これまで彼は患者への治療を必要最小限にとどめてきた。それは延命ではなく“自分らしい人生”を送ることに重点を置いた治療だった。神代医師によると、今の医療はやるべき治療を行なっていない一方で、やり過ぎだと思うことも多いという。「もちろん何でも放置すればいいというわけではないですよ。でも手遅れなのに手術を重ね、辛い治療を続けることで“最期の時間”を犠牲にしている人も多いんです」

そんな彼が20年間に渡り提唱してきたのが『完成期医療福祉』という考え方だ。「『死ぬことはこの世から消えてしまうこと』だと考えると耐えられないほど恐ろしい。でも『死は人生を完成させるもの』と思えば、怖くなくなる。つまり充実した最期をもって人生を完成させるということです。そのためには、管理された病院で死ぬのではなく、自宅などの自由でいられる場所で最期をすごす必要があるんです」

患者のために人生を捧げてきた神代医師の考える“人生の完成”。それは、独居老人が自宅に戻って充実した最期を迎えるにはどうすればいいのか。どんなサポートが必要なのかという答えを見つけることだった。「幸か不幸か、私はがんになりました。だから自らが実験台となり、それらを見極めたいと思うようになりました」

しかし、今年2月に脳への転移が発覚。“独居闘病生活”の試みは、断念せざるをえなくなったという。理想と現実の間で揺れ動く神代医師は、しみじみとこう語る。「今回、私は2度の手術をしましたが、これでよかったのかなと思うこともあります。でもそれは最期にならないと誰にもわかりません。医者といっても神や仏じゃなく、人間ですから。何がよかったかなんて最期までわからない。そんなもんです」

そんな神代医師を支えているのは、家族の存在だ。妻の実津子さん(58)がこう振り返る。「今回の独居をいちばん反対したのは、27歳になるひとり娘でした。『なんで最期なのにパパと一緒にいられないの!最期はパパと一緒にいたい』と強く反対したんです。主人は子煩悩でしたからね。その言葉も心に響いたようです」

夫を元気づけようと、実津子さんは日本舞踏の仕事を辞め、夫の介護に専念することを決意。神代医師はいま、妻の作ってくれる手料理を何よりの楽しみにしているという。実津子が続ける。「普段は毎日料理をつくるのなんて疲れると思うはずですけど、今は不思議と楽しいんです。体調がいいときは一緒にお酒も飲んだりするんですよ。もちろん、ほんの少しですけど(笑)。こんな生活は、病院だとできないでしょうね」

神代医師は『いざとなっても救急車を呼ぶな』と実津子さんに言い聞かせているという。実津子さんは、笑顔でこう語る。「実は24時間ずっと主人が家にいる生活なんて、結婚して30年で初めてのことなんです。がんになったのは残念ですが、その反面、いま初めて主人がいつも家にいる。娘にすれば『パパがいる』生活なんです。きっと神様が最期に幸せな時間を与えてくださったんじゃないでしょうか。そう思うようにしています」

ーーーーー以上ーーー