少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1778 浄土からの声が聞こえる27

例えば、こんな経験はないだろうか・・・・?
事故や怪我で一か月以上、車椅子での生活を余儀なくされた経験がある方ならだれでも身に覚えがあると思う。
車椅子から離れ、一月ぶりに松葉杖で立った時の景色のあまりの違い。わずか一メートル足らずの高さの違いなのに、違う高さの視点から見る景色がこうも違って見えるものなのかと・・・。
人間は、ゆっくりと成長する生きものだから、子供のころの視点と、大人の視点とでは、ただ単に脳の成長と知識の量の差だけかと思っていたら、そうではない。その根本とも言える、物理的な視点の高さの変化には、あまり着目しない。しかし単純に、眼の位置や高さを変えるだけで、新たなものが見えてくる。


美和子の場合、脳梗塞で言語と、半身の活動を奪われ、もう自分の思うような行動がとれなくなってしまった。だが、当初は脳だけは問題なく、思考が正常なだけに、自身の行動や生存そのものが、拓馬や見知らぬ他者に多大な迷惑をかけているのだと、ずっと苛まれていた。
津波で車椅子や杖も流され、避難所では冷たい板の上に、段ボールが敷かれただけの日々を過ごした。
つまり、起きているほとんどの時間、美和子の眼には、行き交う人々のくるぶししか映っていなかった。そして舞っては落ちる土ぼこりが眼に入り、息を吸うたびに、その悪魔の粒子たちが、鼻孔や粘膜を容赦なく攻撃してきた。防水加工された段ボールの薬品臭が鼻をつき、寝返りもままならない背中は床ずれで擦り切れた。痛さ、寒さ、悲しさ、孤独さ、不安さ、恥ずかしさ、・・・死ぬ理由ってこんなにたくさんあるのか・・・と美和子は、見知らぬ人々のくるぶしを眺めながらそう考えていた。


この高さからしか見えない人生は、犬猫よりも低い位置。歩いて動ける人には永遠にわからない人間の底辺の位置だと・・・美和子は、そんなふうに悲観していた。かつて、輝きを放った浄土ヶ浜の海女の美和子、観光客のヒロインだった美和子、そして佳子の優しい母であった美和子の眼はもうそこにはない。一番近くにいるはずの拓馬の視線が、美和子と同じ高さになるのは、夜になってからだけだ。しかし、美和子と同じ高さで見る、拓馬の視線は、日々の疲労困憊から、すぐに、寝息とともに落ちてしまう。口にこそ出さなかったが、こんな時、世界でただひとりだけ、自分と同じ高さの目線で、自分を見てくれる、夫との時間を、美和子は一日中、心待ちにしていたのだ。
しかし、とても言えない。我慢、我慢、我慢・・・美和子はそう自分に言い聞かせる反面、もうひとりの自分が、どうして、どうして、どうして・・・と疑問を投げかける。こんなに一生懸命、こんなに真面目に、誰にも迷惑かけないように、正直に、努力もして生きてきたのに、どうして・・・。
美和子にとって、永遠に続くような長い一日の中で、何度もおとずれる余震を、誰よりも早く、床につけた全身から感じ取れる。この避難所である公民館が、屋根ごと落ちて、自分を跡形もなく押し潰してくれればいい・・・と、いつもいつもそう願っていた。


(つづく)