少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1818 佐村河内守1

「今でも音は降りてきます。ただし、それはボーラー室の轟音の中で聞くような感じで・・・。それをひとつひとつ集めては、繋いでいくような作業でして・・・」
佐村河内守・・・魂の作曲家。
安藤総理が、今、一番気になっている人物です。超有名ですが、まだ知らない人のために・・・・。


佐村河内守(さむらごうち まもる)

出生  1963年9月21日(49歳) 広島県佐伯郡五日市町

被爆者を両親として広島県佐伯郡五日市町(現在の広島市佐伯区)に生まれる。佐村河内家は能美島の出で、村上水軍の末裔と伝えられる。4歳から母親からピアノの厳格な英才教育を受ける。その他、幼少からヴァイオリン、尺八、マリンバなどを習い、5歳で「マリンバのためのソナチネ<無の弾劾>Op.1」を作曲。小学校(広島市立五日市南小学校)4年生でベートーヴェンピアノソナタやバッハを弾きこなし、10歳のとき「もう教えることはない」と母親から告げられて作曲家を志望。これ以後は楽式論、和声法、対位法、楽器法、管弦楽法などを独学。中学生時代は音楽求道に邁進する一方で、学年の番長との喧嘩や他校への出張抗争を繰り返す悪童でもあった。

17歳で『交響曲第1番』の作曲に着手。同年から原因不明の偏頭痛や聴覚障害を発症。崇徳高等学校卒業後に上京したが現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず、肉体労働者として働きつつ独学で作曲を学ぶ。19歳の時には失職して家賃を払えなくなり、アパートを追い出されてホームレスとなり、半年間の路上生活を送ったこともある。

1988年、ソロのロック歌手としてデビューしたが、その直後に音楽的理解者だった実弟を交通事故で失ったことがきっかけでプロダクションとの契約を解除。以後もアマチュアのロック歌手としてバンド活動を行っていたが、その頃から聴覚異常を発症し、1989年、健康上の理由でバンドから脱退。1995年から1996年まで道路清掃のアルバイトで生計を立てる。

ーーーーーーつづくーーーーーーー