少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1846 青春18切符W編5

山元さんは新聞店の隣にある「紅梅」という中華料理屋で「よかったよかった」とビールで祝杯をあげてくれた。タンメンを食べたばかりの僕たちは餃子とメンマをつまみにビールを何本も空けた。春休みのこの時期、界隈には新しい学生が一万人単位でやってくる。新一年生のように堂々とした予備校生、予備校生のような尖った目つきの新一年生、二浪、三浪というベテランの浪人生、これを見分けるには年季がいる。まだ若そうな「紅梅」の主人の目に、山元さんと昼間から延々祝杯をあげる僕は、どんな風に映っていたのだろうか。


僕は何の手土産も持たずにお世話になる新聞販売店の老夫妻に挨拶することに少し心を痛めた。手配師の山元さんが、店の経営者と決めた条件は、仕事は朝夕刊の配達のみ。わずらわしく時間がかかる集金と新聞拡張の業務は一切免除。寮費は無料で朝夕食付。僕はこれだけで満足だと感じたが、さらに一月5000円の給料をくれるというので、僕には不満はなかった。
僕が案内されたのは新聞店の二階にある3畳一間だった。
両国の伯母ちゃんの屋敷ほどではないにしろ、ここも建て増しに建て増しを重ねたような造りで内階段も2か所にあった。2階には大小8つほどの住み込み配達員用の部屋と共同の和式トイレがあり、一階は半分以上が作業場で、経営者の老夫婦の寝室と6人程度が同時に食事を取れる台所、それにシャワーの
みの浴室と洗濯場があった。
僕にあてがわれた3畳一間は、明らかに6畳間を薄いべニア板で仕切っただけの部屋で、それも日曜大工のような適当な釘打ちの仕切り壁だった。部屋に窓はあるにはあったが、開けると、隣家のモルタル壁が手の届く距離にある。それも永年の排気ガスがヘドロのように染み込んでまっ黒に煤けている。窓を開けているだけで、そのヘドロが空気に溶けてこちらまで入り込んでくるみたいで、それ以降、この窓が開けられることは永遠になかった。


(つづく)