1848 浄土からの声が聞こえる31
前回までのあらすじ・・・
東日本大震災で行方不明になった、浄土ヶ浜に住む両親(拓馬・美和子)を探す佳子(東京在住)は、震災から半年が過ぎたことを機に、捜索を諦め、両親と祖母の死を覚悟した。すると、その四か月後、両親の存在が確認され、故郷の岩手ではなく宮城の病院にいることがわかった。だが、そこが宮城のどこなのかまでわからない。しかし、捜索から、わずか数日後、佳子は、何かに引き寄せられるようにして、登米の古い病院に辿りつき、震災から十か月過ぎた、年明けに両親と再会した。
これは、宮古の病院のICUで意識不明の状態のまま、津波によって海底へと引きずり込まれた、佳子の祖母が、海中から送ってこられたメッセージの代筆である。
前回・24話(04/12)全文
表示こそされていなかったが、そこは、この病院の旧病棟を利用した精神障害患者用の入院施設だった。震災前までは、佳子が察知した通り、病院の倉庫として使用されていたのだが、震災後に、精神障害患者用の施設として、改築された。改築された、と言っても、鉄格子ならぬ、アルミ製の柵を屋外から病室の窓に取り付けただけで、荷物を移し、部屋を空けただけのもので、ホラー映画の撮影に使われたこともある施設であった。
さらに言えば、常駐の専門医がいるわけでもなく、精神科医は循環制で週に一度だけ登院する状況で、日々は、専門外の内科医が、日に一度、病棟におとずれるだけになっていた。
震災後、精神を病み、精神障害に苦しむ患者が激増した。しかし、専門医の数が物理的に追いつかず、循環するしか方法がなかった。また、仮に精神科医が常駐していたとしても、精神の病はこれといった治療法が確立されておらず、結局は投薬に頼るしかないのが現状でもある。
外科的、内蔵的疾患なら、原因から究明すれば、治療法も確立され、方向性も見えてくるのだが、精神障害は、ほとんどの場合、悪化へと向かう。もちろん、軽症なら、専門的治療を受ければ、快方に向かうケースも在りうるが、震災後はあらゆる事情で、精神に異常をきたし、治療の甲斐も無く、自死する人が、後を絶たなかった。そのため、今、佳子の母・美和子が居るこの病院は、治療施設ではなく、自死防止の監視施設と表現した方が適切なのかも知れない。
拓馬は、佳子に、ポツリポツリと、蛇口のパッキンが劣化した水道から、しずくが落ちるように、こう話した。
「おとうちゃん、ごめんね・・・あたし、そんなことも知らないで・・・」
「佳子のせいとかじゃないっちゃ。誰のせいでもないっちゃ・・・・」
「でも、おかあちゃんもかわいそう・・・、おとうちゃんも、ばあちゃんも」
「しかたねえっぺ。みんな同じだっぺ」
「おかあちゃんに会えるの・・・」
「そでは、せんせさ、聞いてみねえど、わかんねえっぺや〜。おどでも、まいにつ 会えるっつうわげでもないんでや」
「おかあちゃん、そんなに悪いの?」
「だっぺや〜 避難所の生活さ つかれちゃったもんな〜」
「どうして、すぐに、連絡してくれなかったの? 東京に来てくれれば良かったじゃない」
「そでもな、いろいろと考えたっぺえ。だどもな、おががな、ど〜すても、世話さなりたぐねえ・・・って」
「どう〜して、こんな生きる死ぬって時に・・・」
「おがはな、こんな身体で、こんな状況で、佳子さとこ行ったら、佳子にめいわぐさ かけるから〜って」
「迷惑・・・ってなによ、おとうちゃん、家族じゃない!親子じゃない、あたしたち」
「佳子なあ・・・、おどにも、よくわがんねえけど、家族だから行けない・・って おがが言ってたど」
「そんなあ・・・どういうこと」
「おがは、佳子さ幸せ こわしだぐねえ・・・佳子の旦那さまや家族さまにめいわぐ かけだくねえ・・・、こんな身体で行ったら、きっと、佳子さ、東京で やっがい者にさでるから いぎたぐねえ・・・って」
「なんで・・・なに言ってるの、おとうちゃん、そんなこと、あるわけないじゃない・・・、昌男さんだって、お義父さんやお義母さんも、みんなで心配してくれて、みんなで探してくれたのよ・・・」
「佳子、すまんかった・・・。おども、おがも、わかる・・。佳子さ、来でくれたこともわがっでた。何度も、何度も、電話さ しようかと思った。けどな、すまんな・・・。ほんどはな・・・電話さ 壊して このまま、おがと消えようと思っとったんじゃ・・・。最後にな・・・でも、最後に、佳子さ 声聞きたくて、かけてしまったっちゃ。おどを許してけろ」
「許す・・・ってなに? 何のことなの、おとうちゃん?」
(つづく)