少数派日記

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“安藤総理の少数派日記”

1923 悲報・怪童・尾崎行雄逝く

 プロ野球東映、日拓(日本ハム)でプレーし、「怪童」と呼ばれた尾崎行雄さんが13日、68歳で死去した。高校2年で中退して東映に入りし、入団1年目で20勝を挙げて球団初のリーグ制覇に貢献。さらに新人王に輝くなど、デビューは華々しいものだった。プロとしての実働は12年だったが、「太く、短く」の野球人生と豪快なマウンド姿はファンをうならせた。

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 大阪・浪商高(現大体大浪商)時代では、3季連続で甲子園に出場した。体を弓のようにそらせて投げ込む速球には球威があり、調子が上がるとカーブは数えるほどしか使わない「剛直型」だったという。

 神奈川・法政二高の好投手、柴田勲(元巨人)との3度の対戦は、名勝負として語り継がれている。浪商の主戦右腕として甲子園デビューとなった1年目の60年夏は、2回戦で柴田の法政二に敗れた。2年目の61年春は1回戦で17奪三振、2回戦で14三振を奪い連続完封。勢いそのままに準々決勝で法政二とぶつかり、柴田を上回る11三振を奪ったが再び敗れた。しかし、同年夏に準決勝で法政二に雪辱。5試合で55三振を奪い、全国制覇を果たした。

 尾崎さんは、その年の秋に浪商を中退して東映入りを発表。1年目に20勝9敗のデビューを飾った。しかし、豪速球を投げ続けた負担は大きく、プロ入り後は右肩痛に悩まされた。通算107勝を挙げて29歳の若さで引退したが、スピードガンもない時代の圧倒的な球威はその後も語りぐさとなっていた。【浅妻博之】浪商高時代の1年先輩で、その後、内野手として阪急(現オリックス)で活躍した住友平さん(69)=現関西メディカルスポーツ学院硬式野球部監督=は「手元でホップする球で、プロに入ってからもあんな球は見たことがなかった」と振り返る。

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 「(プロ歴代2位の350勝を挙げた)米田(哲也・元投手)さんらと酒の席で誰が一番速いピッチャーかという話になると、決まって最後は『そりゃ、尾崎やろ』ということになった」とも。

 住友さんが明大を経てプロ入りしたのは1966年。「プロで対戦した時の思い出は、『何、これ』という感じ。スピードはなくなっていた」と話す。「今のようにトレーナーがしっかりしていれば、もっと投手として長く投げられたはず」と自分のことのように悔しがった。【山口敬人】