少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1924 速球王・尾崎行雄伝説

「よっしゃわかった! そんなら、書いてもええで。その代わりやな、儲けは折半やで、あんたと、ワシで山分けでどや・・・わっははははは」
そう言って豪快に笑うと、安藤総理の尻をポーンと叩き、肉厚の指で、後ろから総理の両肩をつかむと二、三回、もみもみしてくれました。
誰もが驚くほど、温厚で優しい。伝説の怪童は、誰にでも喜んでサインや記念撮影に応じてくれる。だが、そんなプロ野球界の「伝説」の投手を描いた本は、まだこの世に一冊も誕生していない。
その理由を、何度も出版のお願いにあたった安藤総理に、尾崎さんはこう答えた。
「わしはな、過去のことで、あれやこれやと騒がれたくないんや。過去は過去、今は今っちゅう考え方やねん。そら、あんたみたいな人、ぎょうさんきたで、昔の話やけどな。せやさかい、他、ぜんぶ断った手前な・・・あんたのとこだけ、OKするわけにはいかんのや、堪忍したってや〜」
それが3年前のこと、それから、何度かお願いにあがったが、同じ返事でした。



しかし、昨年の秋、ある人を、尾崎さんのお店にお連れした。
尾崎さんの浪商時代の同級生で野球部員であったYさんだ。
Yさんは、安藤総理が、中国へ腎臓移植のためにお連れした患者さんです。
ふたりは、尾崎さんが浪商を2年で中退した17歳以来、実に50年ぶりの再開だった。
「あんたのおかげで、ホンマに懐かしい顔に会わせてもろうたわ。おおきにやで」
そのお礼というわけではなかろうが、それが冒頭の尾崎さんからの言葉だった。
話半分の社交辞令だったかも知れない。しかし、はじめて、そう言ってくださったので、当方は真に受けていた。退院したら、さっそく企画をぶら下げて伺おうと思っていた矢先の訃報・・・。


伝説の投手・尾崎行雄さんが、亡くなられた。
昨日早朝のネットニュースを見て仰天した。
8時を過ぎたら、大阪のYさんに電話を入れようと思ったが、待ちきれず、7時すぎに電話を入れた。Yさんは、当方からの電話を予期していたかのように「尾崎のことやろ・・・」と普通に出た。前夜の段階で、浪商のOB会から連絡がきたそうだ。「ひとことで言うたら、不器用な生き方しかでけん男やったな・・・」とYさんはつぶやいた。


当然だが、我々は知らなかったが、Yさんは、あの夜、尾崎さんから病気のことを聞かされていたそうだ。そのこともあり、7月になったら、また会いに行こうと思っていたそうで、「日にちが決まったらやな、また安藤さんに連絡してやな、前みたいに、連れて行ってもろたろか思うとうたんや」とポツリ語った。


「一期一会」を痛感した。


生前の尾崎さんが出演する貴重なVTRです。