少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1950 霊波之光通信19

「少数派日記」2000回を迎え、さらに新たな気持ちで、ひとりでも多くの方に、素敵な情報が届くように努力したいと思います。
現在、安藤総理は、広州市郊外、番禺区にある総合病院の1820号室にて2001号を書いていますが、本日は朝から、ネットの状態が不機嫌で手こずっています。
それにつけても、左腕は点滴に繋がれること6時間。これをやりながら、酸素吸入45分。さらに右耳のリンパマッサージと針、両足のマッサージも同時に行い、マッサージが終わってから、このブログを書き、点滴が終わり次第、血液をいったん、人工透析のように抜き、オゾンを混ぜてまた血管に返すというオゾン療法を行います。これ、ほぼ同時進行で行い、そう書くと、安藤がまたホラ吹いてやがる、とお思いの読者諸兄に証拠写真でも見せたいところですが、写真はありません。あまりにもカッコ悪い状況にて割愛。


さて、前回は第1361号(18回、2012/09/25付)の霊波之光通信でした。
人類にとって、「宗教」が必要か否かは、すでに2013年の地球上の歴史が証明しているので、もはや争議の対象にはならないでしょう。
しかし、矛盾はあります。
どの宗教も「世界平和」「平等」「幸福」を求めているにもかかわらず、「宗教戦争」は地球を破壊し、病苦、経済苦、精神的な悩みはなかなか解消されません。「だから、宗教なんて必要ない・・・」という意見も否定はしません。
ただ、人はそれぞれ、個々に価値観が違うので、何をもって「幸福」を感じるのかという点において、自己の主張と他人のそれには、当然ながらズレが生じるので、その差異が、宗教観の違いとなるのではないでしょうか?


正月には神社へ初詣でに向かい賽銭を投げ、新年の抱負を祈り、バレンタインにグルーポンで予約したバーで愛を語り、ジューンンブライトで教会で挙式をあげ、ライスジャワーを浴びて、花屋が儲かる花をトスしてキャーキャー騒ぐ。お盆が来れば迎え火で祖先様を迎え、東京音頭でヨイヨイとウチワを翻し、中秋の名月には月に団子を供え、秋祭りでは氏神様に豊作を感謝して餅を投げ、拾い屋のバアさんどもが年に一度の大活躍。食欲の秋は喰い過ぎだからと、テレビではイスラム教徒のラマダン、つまり週に一度のプチ断食が身体にいいと、推奨し、にわか健康家がすぐマネをする。やれ、ハロウィーンだのイースターだのクリスマスだのペコちゃんだのと、バテレン商法に乗っかり、国民総エセクリスチャンが誕生する。で、最期は南無阿弥陀仏となり、坊さんに使途(死徒)不明金となる無税のお布施やらを支払い、火葬場の煙となり、遺族は香典返しの品選びに奔走する。およそ、ここまで宗教をエンジョイして、生活の一部に都合よく取り入れる国民は地球上、他に例を見ない。


されど、これは是であって非ではない・・・と総理は個人的に思う。
誰にご迷惑をかけるでもなし、経済の活性化になり不二家もペコちゃんも大喜びである。わけのわからないチャミーだって、クリスマスは骨付きチキンに有りつけるのだから・・・。


死ねば仏様(成仏)になり、また輪廻転生して人間界に戻るという仏教。死ねば神=父=イエスキリストの元へ戻るのだというキリスト教。死ねば・・・どうなるのかわからないイスラム教、ヒンドゥー教、etcに対して、地球上に数多ある新興宗教・・・
実は、この新興宗教にアレルギーを持たれる方がとても多い。しかし、これはいた仕方ないことだと総理は普通に思う。
「この宗教に入れば、医者も治せない病気も治ります」
「ええ、マジっすか!んじゃ、入ります・・・」なんて人がいたら、そっちの方が心配です。
「霊波之光」・・・なんて、ネーミングからして、ヤバそうじゃないですか?しかも野田の本部にある天守閣をはじめて見た時は、いくら末期癌の友人のためとは言え、この安藤総理が、正直、ブルって帰りたくなったほどです。


しかし、何度も足を運び、事実を見て驚き、それでも「嘘だろ?」と何度も何度も疑っては、また信じがたい事実に直面し、そして今度は自分自身が体験し、催眠術でも偶然でもない、ということを実感して確信して、現在に至りこれを書いているのです。
安藤総理自身が救われた理由は、これを伝えることでもあるのです。


宗教は、どんな宗教でもそうですが、結果を出さなけれな、信者は生まれません。人間は、いつか必ず死にます。宗教をしたから助かった、宗教をしなかったから死んでしまった・・・なんてことは、当然としてありません。要は「死に方」なんだと思います。「死に方」とはすなわち「生き方」だと思います。安藤総理はまだまだですな。修業が足りません。


私は「手当て」という言葉がとても好きです。
子供のころ、お腹がいたくなると、お母さんがお腹をさすってくれました。不思議と痛みが消えました。
大人になって、腹が痛むと自分で腹を押さえます。とても楽になります。
「腹(幹部)に手を当てる」これすなわち「手当て」です。
イエス・キリストも、ブッダも、モハメッドも、安藤総理も、お腹の痛い人のお腹に手を当てて、介抱してあげたことより宗教が始まり広がりました。
医者にしかできないこと、医者にはできないこと、西洋医学200年の歴史に対して、宗教は2000年プラスα、中国漢方は自称4000年、人体のメカニズムの解明はまだまだ氷山の一角にすぎず、データ重視の西洋医学では、解明できないことばかりです。


私も含め、私の周りでは、残念ながら現在の医学ではどうにもならない難病疾病患者が、苦しみの淵から生還しています。その数、数多。
私はただ、この事実をお伝えしたいだけです。
霊波之光教会から、毎月送られてくる月刊誌「THE REIHA」には、その体験談が実名で報道されています。それも氷山の一角にすぎません。
勧誘とか、入信のお勧めとか、そんな下世話な問題ではなく、これは「命の情報」だと、私は確信しています。


ものごとを「否定」することは「肯定」することよりたやすく、「肯定」することは「責任」を伴うため、それなりの「覚悟」と「勇気」が必要です。
日本一の「無責任男・安藤総理」が言うのだから間違いありません。おっと、こういうことを書くから、また信用が・・・。ね!
本当に必要なものは、必死で求めている人のところに必ず行く・・・そう信じて。そう信じて、安藤総理は日々、どうやったら、女の子にもてるのだろう・・・と、そればかり必死に考えて生きているのです。おっと!