少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1954 霊波之光通信22(保険)

6/16日の退院以来でしょうか? 自宅で、朝まで一度も起きずに眠れたのは・・・。いんや〜涼しい夜でした。朝起きると、布団の温もりが懐かしく、パジャマ代わりのTシャツも汗でぐっしょりしておらず、ラジオ体操にも参加できました。ありがとうございます。


本日は、自身の生命保険と霊波之光について書きます。「こじつけ」と思われる方もいるかと思いますが、信じる信じないは、あなた次第です。


二十代後半から三十代前半にかけて、安藤総理は二つの生命保険に加入していました。会社の上司の奥さんの紹介で住友生命に。また交際していた彼女の勧めと彼女の成績のため日本生命に。掛け捨てではなく積立年金タイプということもあり、両方に支払う金額は合計で、月に8万円強・・・。
「バカじゃねえか?」と皆様から、さんざ言われました。
33歳の時、住宅ローン月々20万円が発生したこともあり、8万円の支払いが苦しくなり、解約して2万円ほどの保険に変更しました。


その後、紆余曲折し、保険会社がさまざまな商品を作り、現在、複数の保険に加入しています。
で、昨年のこと。中でも、私の中で、非常に優れた保険会社のひとつに旧エジソン生命、現ジブラルタ生命という会社があります。この会社は保険金の支払いが最速で、本当に、いろんな意味で助けられています。かなり長いお付き合いになります。月々の支払いはカード引き落としなので、忘れることもなく、支払いは滞りありませんでした。


ところが、一昨年の12月にそのカードの更新手続きを忘れ、カードが失効し、自動引き落としができなくなり、銀行振り込みとなりました。
忘れもしない、昨年2月、多忙を極める中、明日から中国へ行くという日、一番の重要事項は保険金の支払いです。二か月の長期出張のため、その他の支払も含め万全を期しました。その時は、東京からではなく、安城の自宅から、中部国際空港発で上海、広州へ行く予定でした。


前日午後2時。ジブラルタ生命に電話を入れ、振込み金額と口座番号を確認して、お金を用意して実家を出ました。そして、すべての支払い状況を確認して帰宅。
翌、早朝、家を出るとパジャマ姿の母親が「握りメシは持ったのか・・・」と追っかけてきたので、記憶は鮮明です。


そして二か月後の四月に帰国。中国で足を痛め、軍人病院に入院。ジブラルタ生命に保険金請求の電話を入れると、なんと、保険金未払いで「失効」になっています・・・とオペレーター嬢。「んな、バカな」あたしゃ、出発前日に、ちゃんと入金したぞなもし、ちゃんと調べんかいボケと言って電話を切り、こっちも証拠となる振込み証明を探す作業。そんな大事なものは、まず失くさない安藤総理だが、どこを探しても見当たらない。挙句、安城の母親にまで自宅を家探しさせる始末。


「すみません、安藤様、やはり入金の記録が当社に反映されておりません。安藤様から金額と口座番号の確認のお電話をちょうだいした記録は残っておりますが・・・」
「しかし、私は絶対に入金した記憶があります。なんせ、出国前の最優先事項ですから、忘れるわけがありません」
本来はしてもらえないことだが、振り込んだ可能性のある某信用金庫のF支店長に電話を入れた。F支店長とはあんまき高校の同級生だ。「異例のことではあるが・・・」と、その日の入金状況を調べてもらったが、結局、安藤総理が入金した形跡は確認されず、エアー振込みだったことが断定された。


「まさに、ひざから崩れ落ちる心境でしたね・・・。足より、アタマをチェックしてくれ・・・と担当医に頼みましたよ。実際に脳のMRIを撮ってもらいましたが異常なし。しかし、本人は若年性アルツハイマー明日の記憶を連想しました」と安藤総理は当時を振り返った。


「お客さま・・・ご安心ください。当社には復活というシステムがございますので、まず、そのお手続きをされてはいかがでしょうか?」
「ええ〜、復活できるんですか?」
「はい。100%とは言えませんが、審査に通れば問題ないかと思います。過去に入院歴とかなければ、大丈夫かと思います・・・」
天使の声が、悪魔に変わる瞬間・・・「入院歴」
「あの入院は何回かしてますけど・・・」
「そうでしたか・・・(急に暗いトーンで)。ただ、審査の部署は別にありますので、そこを通さないと、なんとも申し上げられません。とにかく、復活できるようにお祈り申し上げます・・・」


数日後、ジブラルタ生命から、文書で「残念ながら、今回は、安藤様の意に添えぬ結果となりましたことをお詫び申し上げます云々」という書簡が届き、ダメモトで、審査の部署に電話を入れ、理由を尋ねるとともに、なんとか復活できないですか、と懇願したものの、丁寧に断られてしまいました。


霊波之光には、まず、「振込み証明書」が出てくるように。次に「復活」が認められるようにと・・・祈りを捧げました。
Dr・Mも「保険、どうなりましたか?」と顔を見るたびに心配してくれましたが、結果として「失効」が決定。保険金は下りません、というか、請求すらできないということになりました。


(つづく)


追伸・・・2005回を記念して2005年の安藤総理の動向


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365日のうち7回の渡米だが、滞在期間は述べ36日間。10月19〜21日は3日間でLAとSFをとんぼした。
香港を含む中国は述べ125日間の滞在。腎臓移植患者さんのケアもあり多忙だった。
それでも半分以上の204日は日本に居た計算になりますが、入院も7日間したり、また国内出張も多く、自宅に戻った記憶も記録もほとんどありません。中国とアメリカの間隔はほとんどトランジット状態で成田から自宅に戻り、一泊か二泊して、また成田といった感じです。


わずか8年前はこんなに身体が動いたのに、よし、また頑張るぞ!