1997 安曇野紀行1
11/22〜26まで、長野県・安曇野/穂高でのんびりと、野生のサルと温泉三昧してきました。
本屋のお姉さん&愛読者さまのご招待によるもので、いただいたキャンピングカー仕様のエスティマで、マグロ屋クマちゃんを運転手兼ボディガードに仕立てての国内ツアーです。
11/22午前、安城を出発。途中、国道一号線沿いの「藤田屋」でお土産用の「大あんまき」を大量購入&軽めのランチ。クマちゃん=台湾ラーメン、総理=大好物の中華丼。豊田南ICから乗り、岐阜県土岐経由で飯田で中央道に合流、そのまま松本ICへ。約二時間半。
松本には総理の母方の山口家の墓地があります。松本城から1キロくらいかな、長称寺という寺。長野に行くときは必ず墓参り。
父方のじいちゃんは、総理誕生のとき、すでに他界していたので、たった一枚の写真でしか知りません。しかし、母方のじいちゃんは小四まで生きていたので、よく遊んでもらいました。12人兄弟姉妹の一番上。駒ヶ岳の頂上にあった四方山亭という料亭で板長をしていたと聞いています。山の頂上の料亭・・・ってよくわかりませんが、名入りの立派な重箱が家にあります。
隠居して長野の実家から長男(母親の弟)の住む知立で暮らしていました。夕刻、大好きな大相撲を見ながら眠るような大往生でした。
会社帰りの叔父(長男)を小4の総理がバス亭まで迎えに行きました。「早くしないと、おじいちゃん死んじゃうよ、早く早く」と総理は叔父の手を引っ張りましたが、どういうわけだか、叔父は「うん」と頷いたまま、のっしのっしと歩を速めませんでした。
ばあちゃんは、中三の時亡くなりました。優しいばあちゃんでした。なんでも言うこときいてくれました。一年ほど、一緒に安城で暮らしました。後半は具合が悪く、ほとんど寝たきりでした。長野の人なので、語尾に「ずら〜」とつけるのが安城では珍しくて、「ずら〜」と聞くとばあちゃんを思い出します。
途中から入院生活でした。ほぼ毎日のように、学校帰り、家とは反対方向にあるばあちゃんの入院先に寄ってから帰るのが日課でした。
その日も帰り道、ばあちゃんのところへ行こうと、自転車を飛ばしていると、すれ違った知り合いのおばさんから「病院に行くの?おばあちゃん死んじゃったよ・・・」と聞かされました。
看護婦の母が言うには「無駄な検査をたくさんされて、寒い部屋で放置されたり、あんなに急に具合が悪くなるはずがない・・・」と病院の非をほのめかし、病院に入れたことを悔やんでいました。中三の頃の時間の感覚では、ばあちゃんの入院の期間がどれくらいだったのか、記憶は定かではありませんが、長くても一か月未満だったと思います。母が言うように、前日、お見舞いに行った時は普通に話せた記憶はあるし、いつも行くたびに10円のお小遣いをくれるのです。なにかというと10円の小遣いをくれるので、途中からダルマの貯金箱に入れたまま、今でも使わずにとってあります。
なんで10円だったのか、今、振り返ると、長野のおばあちゃんの実家の近くに駄菓子屋があって、夏休みに遊びに行くと、必ずそこへ行くのです。そのたびに、必ず10円をくれていたような気がします。
当時、安城だって田んぼと川しかない田舎。それよりさらに田舎に行くんですから、子供はそんなに嬉しくありません。きっと駄菓子屋と、おばあちゃんの10円が楽しみだったのかも知れません。
墓参りを終え、再びクマちゃんの運転で、目的地の安曇野へ。途中、「珈琲哲学」なるたいそうなネーミングのカフェへ。う〜ん、なるほど、長野のコメダって感じかな。米粉のピザは美味しかった。
予定の6時を30分ほど過ぎ到着。先に到着していたお姉さんと、そのお友達の方々と、貸切りのロッジで軽く夕食をとり歓談。総理は温泉へ、運転疲れのクマちゃんは、そのままベットでバタンキュー。お疲れな一日。
いささか続きます。