少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2136 弥生のバイオリズムと須藤元気

長野県伊那市は、安藤総理の母親の出生地。長女の母親と、4人の弟全員は地元の伊那北高校へ進学しました。その伊那市に弥生ヶ丘高等学校がありますが、学校名の由来は、敷地内を工事していた際に弥生式土器が発見されたことだそうです。


弥生3月、草花が更生する時期。弥(いや=ますます、盛んに)生(おい=草木などが更生)が語源で、日本の弥生時代は狩猟、採集、土器の流浪生活を中心とした縄文時代から、稲作、金属器の定住生活に移行した時期を大まかな境界とされています。
紀元前4世紀ごろから、紀元後3世紀くらいまでの約700年間。


当時の人たちが「おらたちは、弥生時代の人間だ」とそう叫んでいたかどうかはわかりません。いつ誰が、なんの権限があって、その時代を「弥生時代」と名付けたのかは定かでありません。大和の国の創生期という意味でしょうか?


イエス・キリストの誕生を紀元とするならば、すでに西洋には文字があり、その3000年以上も前から古い順に、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河四大文明があり、中国では孔子、イタリアではローマ帝国が形成されていました。


日本では、全国通津浦々に「弥生」の地名がついた住所がありますが、富士山が見えた「富士見町」のように、弥生ヶ丘高校のように、その由来は弥生時代の土器の出土した場所が多いようです。


歴史好きで、推理好き、山岡荘八徳川家康松本清張のファンの親父の影響で、当時小学校5年生だった安藤総理は、夏休みの研究課題に「安城市内の古墳状況」というテーマで調査しました。
安城市というか、三河地方には、人の手でできそうな、ちょっとした雑木林みたいな、小山のような、いかにも不自然な形状の突起がやたらあります。親父に言わせると、あれは全部、古墳だということでした。
さっそく、発掘調査をしようと勢い込み、スコップを持って出かけたのですが、市の自然保護区域だとかなんだとかケチをつけられて、許可を得ることはできませんでした。


近隣の西尾市に「弥生」のついた地名があり、親父に車で連れていってもらいましたが、残念ながら、新たに、弥生式土器の発掘には至りませんでした。
ちなみに小6の時の夏休みの研究は「ノストラダムスの大予言」で、中一の時が「石井部隊の秘密」です。これも森村誠一ファンの親父の影響です。


さて、読者のみなさまに、お詫びと訂正です。
小生、本日が4年に一度の「閏年」。したがって2月29日だと、朝まで思っておりました。パソコンの日付を見て仰天しました。高橋の3年手帳のマジックにすっかり騙されてしまいました。面目ありません。専門家として恥る。


どういうことなのが。どうしてこのようなミスを犯したのか、朝から、ずっと考え、その回答が「月」にあるという結論を須藤元気氏の説明で納得がいきました。
人間のバイオリズムの周期は28日。つまり女性の月経の周期と同じです。現在の世界カレンダーは400年に97回の閏年をおくというグレゴリオ暦を採用しています。そこまでは総理も知っていましたが、須藤氏は月の周期28日に合わせ、一年は一か月を28日として、12カ月ではなく、13カ月と1日で365日とするべきだと主張しました。まずはビデオを観てきださい。



いかがでしょうか?総理は納得できました。昨年、麻梨花ママのまりんかさんにいただいた「人類、その起源と未来」を熟読させていただいていますが、須藤さんも同じ本を読んでおられると確信しました。


現在、安藤総理は、手術後の痛みと格闘しています。痛みで意識が飛び、痛みどめで、痛みが治まると意識がもうろうとし、食事時になると必ず同室の老人が雲子を垂れ流し、「おむつから漏れてます〜」と看護婦が大騒ぎをする。本日で31日目。これも将来の自分の姿だと諦めて我慢はするが、やはり身体がついていきません。右耳の難聴は悪化して右半身全体が水に浸かってるような感覚。これもバイオリズムの低下のサインです。
この負の環境から抜け出すことは、思ったほど容易くありません。夜、寝れないと騒ぐ爺さんたちは、この昼間に大イビキで寝てるのだから、そら寝れんだろうと思います。


ただ、バシャールの人類の起源の話や須藤元気の話を聞くと、クソ垂れ爺さんのことは我慢しよう・・・という気にはなります。