少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2160 朝陽をいただき、風を見る


三月に入ってから、毎朝続けています。「朝陽をいただく」作業。
隣室のご婦人に誘われて、病棟の廊下から見えるガラス越しの朝陽を浴びる。意識して浴びるから、「いただく」と表現することにしました。
自然がくれる無料(無量)のエネルギー、そして生命の源、全知の根幹。たっぷりと全身でいただく。


そして風を見る。
総理の住む、横浜総合病院は4階建てですが、丘の中腹にあり、駐車場は一階エントランスより二段、三段ほど低地にあり、小さな裏山に隣接した立地。かなり広い駐車場を校庭に見立てると、まるで、生徒70人以上が逃げ遅れて、津波の犠牲になった石巻の大川小学校の風景を彷彿させます。
その4階廊下から、本日も朝陽をいただこうと、外界を眺めていると、遠い雨雲を背景に、一枚、また一枚・・・と命なき枯葉たちが、この4階まで風で舞い上がってくるのです。


命なき枯葉でさえ、ここまで上がってこれるのに、命ある者、家族ある者、未来ある者、弱き者たち多数が、指導者たちの誤判断で、犠牲者とり冷たくなった。
あくまでも結果論。亡き者の責任を追及しても意味がないという向きもあるだろう・・・。
否。
そうだろうか・・・?
私はそうとは思えない。少なくとも中学生未満の児童を預かる立場において、必ずしも最良適切な判断だったと言えるだろうか? 誰しも納得はしないだろう。
もちろん、その場にいたわけではないのだから、多くは言及できない。しかし、本当に児童の命が最優先だった判断なのか? 己の判断による「責任への追及」すなわち「責任逃れ」「保身」が優先だったと、強くそう感じます。


裏山への避難を二度に渡り進言した先生。教頭をぶん殴ってでも、教え子たちを避難させて欲しかった。
我々でも知る「地震時の心得」・・・とにかく逃げ道の確保。これ常識。増してや大地震。巨大な川のすぐ近く。津波警戒地域。子供でさえ高台に避難を訴えていた。判断を誤った者たたちが、死者となっても、その責任は回避できない。


日教組・・・このカルト集団は、マニュアル狂信者。マニュアルから外れた指導をすると、教頭や校長には永遠になれない。
裏を返せば、マニュアルにないことは、何もできないし、しちゃいけない。
これが、日本の教育現場の現実。


陽は昇り、枯葉は風に舞う。
宇宙の原理にマニュアルはない。
子供は宇宙、自然は生命。責任ある指導者はマニュアルに従えなくなり、校舎を去り、責任なきマニュアル厳守主義者のみが、細々と余生を校舎で過ごす。そして大量の犠牲者。


反論や誤解を恐れずに書くならば「出世」「保身」「責任逃れ」「マニュアル」など、すべての「己(おのれ)ごと」を、「命」という名の天秤にかけた選択ではなかったのか? 
いわゆる「指示待ち族イエスマン」すなわち「日教組の中の勝ち組出世族」
先頭が「羊」なら、崖に飛び込んだ「羊」に罪はない。
しかし、それが脳ある指導者・人間だとしたら、話は別だろう。遺族の無念は思いに余る。
墓場を掘り起こしてでも尋ねてみたい。そして時を戻して、裏山に避難の誘導をしてもらいたい。