少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2197 暗黒司法48年間の監禁と凌辱


暗黒司法
姉と共に拘置所後に=再審開始に「うそだ」―感謝の言葉も・袴田さん


時代背景がそうさせたとはいえ、48年といえば、安藤総理遡ること6歳のころ。まだ小学校に上がる前の未就学児童までタイムスリップせねばならない。
今日に至るまで、いろんなことが、当然ですがありました。
じゃあ、2億円あげるから、今日まで48年間を3畳一間の、風も入らない独房で暮らせますか?と問われれば、おそらく100人が100人、1000人が1000人、応じることはないと断言できる。


損害賠償金が2億円。48年間で割ると、一年当たり416万円とちょっと。
日当で計算すると11397円。でも24時間拘束監禁でプライベートは一切なしの状態だから時給わずは474円。これじゃ、最低労働賃金の半分にも満たない。


税金は、厚労省の役人の接待費や、東電やJALの損失補填に使われるべきではなく、このような時のために、使われるべきものではないのか?
あきらかに狂っている。


この裁判、途中から、世間もマスコミも、そして逮捕から裁判に関わった警察や司法当局も、あきらかに「矛盾」や「ねつ造」に気付いていたはずだ。
にもかかわらず、「メンツ」にこだわったのか「正義の告発者」は元裁判官のひとりきりだった。この裁判官だっておかしいぞ。だったら、退官後ではなく、任期中に告発すべきであろう。
マスコミはヒーロー扱いだが、告発が遅すぎる。一味の中のひとりとして罪は消えない。


この事件に携わり、冤罪を確信していた司法関係者、そして捏造した警察関係者ども。こやつらは、48年間、酒を飲み、メシを食らい、オンナを抱き、家族を作り、子を育て、孫をも抱き、快楽を味わい、友と集い、温泉に休め、報酬を得、惰眠をむさぼった連中よ、どんな気分だったかい? ぜひ、聞いてみたい。
そんなのカンケーねえ・・・というのか、やはり、「正義を司る機関の従事者」として良心の呵責があったのか、やり切れぬ思いで過ごした48年だったのか、楽しい人生だったのか、ぜひ、聞かせていただきたい。


真犯人を見つけ出すことが出来なかったことにより、浮かばれない4人の犠牲者とそのご遺族や関係者の無念。そこまで、警察の責任とまでは言いたくないが、犯人を捏造したことで、招いた結果であることも事実。
告発した元裁判官同様に、袴田氏犯人説に異を唱えた警察関係者も複数いたという。当たり前だと思う。
しかし、そんな正義も組織の面目という前に消される、まるで戦前の特高特別高等警察)みたいじゃないか。


これは中国の公安以下のやり方。現在の日本では有り得ない手法を現実としてやってきた。時の法務大臣の誰一人として「死刑執行」の判を捺印できなかった、あからさまの冤罪。どうして、日本の司法は48年間も、この事件を引っ張り続けたのだろう。
その答えは、ただひとつ、袴田さん御年78歳。司法は袴田さんの獄中死、死人に口なしを願っていた。


ーーーーー以下ネット配信記事転載ーーーーー

時事通信 3月27日(木)21時4分配信


再審開始が認められ、48年ぶりに釈放された袴田巌さん(78)は27日午後5時20分ごろ、東京拘置所の玄関から姉秀子さん(81)と共に姿を現した。待ち構えていた報道陣に対しては一言も発することなく、弁護団が用意した車に秀子さんと一緒に乗り込み、拘置所を後にした。
袴田さんは黄色い半袖シャツにベージュのズボン。かつての面影はあるものの、髪は白髪交じりで、約半世紀の年月を感じさせた。


弁護団によると、秀子さんと2人の弁護士は午後4時ごろ、袴田さんと2010年8月以来の面会を果たした。アクリル板越しに再審開始の決定文を見せると、袴田さんは最初に「うそだ」と話し、「袴田事件は終わった。もう帰ってくれ」といら立ちを見せた。
(安総注=48年間の独房生活。精神的にまいるのは当然のこと。むしろ、強靭な精神力の持ち主だ)


約1時間後、刑務官に付き添われ、手に紙袋を持った袴田さんが拘置所の応接室に現れた。秀子さんは目を潤ませながら「巌」と肩をたたき、「やっと出てきたね」と声を掛けると、袴田さんは「うんうん」とうなずいたという。
半袖シャツで寒くないかと問われると、「寒くない寒くない」と答えた。ただ、長期間の拘置による影響か、十分な意思疎通は難しいといい、表情に変化もなく、独り言が多かった。
 

拘置所を出た後はほとんど話さず、車の中から外を眺めていた。途中で車に酔い、都内の駐車場で休憩を取った。外に出た袴田さんに、弁護人が「釈放されたことが分かるでしょう」と問い掛けると、「ありがとう」と話したという。 

ーーーーーーーー以上ーーーーーー