少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2211 生きる姿勢を見せてくれた彼女

優しくて、明るくて、それでいて強い。
なにしろさわやかなひとでした。
そんなイメージしかありません。


過去形・・・です。


彼女とお会いしたのは、わずか二回。
親しい友人のKさんは、三回・・・と言ってたけど、僕の記憶では二回。
一回目は秩父宮ラグビー場で。二回目は国立競技場でラグビーを観戦し、その帰りに彼と彼女の行きつけのモンゴルの居酒屋で三人で飲んだ。


もう十年以上も前、Kさんは離婚され、その引っ越しを手伝ったのがきっかけ。何年かして「誰かいい人いませんかねえ」と酒席で女性との縁を求められたことがあった。
不埒専門の安藤総理とは違い、女性には真面目なKさん。心がけてはいたが、縁は縁故、縁任せとしか言いようがない。
「Kさん、すみません、なかなか、いい人をご紹介できなくて・・・」
「いえ、安藤さん、実はゲットしました」
あの時のKさんのガッツポーズは今でも忘れられない。
「自力でゲットしました」Kさんはゲットを二度繰り返した。


「じゃあ、紹介してくださいよ」
「はい、こんど、三人で飲みに行きましょう」
十年も前のことです。
それ以来、彼女とお会いできたのは、偶然の二回。お話したのはモンゴルの一回。正直、会えばわかるけど、全体的な印象しか残っていない。モンゴルだって四年くらい前の話だ。


もう十年もお付き合いして、一緒に海外旅行も何度も行かれているそうだ。
「じゃあ、なんで結婚しないんですか」
そんな不仕付けな質問をしたことがあった。
「いやあ、考えてはいるんですけど、自分に甲斐性がないんですよ」とKさんは笑った。
それ以上は聞かなかった。真面目なKさんのことだから、わからないけど、慰謝料とか養育費とかの問題があるのかも知れない。善人で働き者で、スポーツを愛する人


安藤総理の行動派日記(高橋の3年手帳)をめくり返し「ハッ」とした。
3月1日。入院から31日目、足の手術から14日目。
夕食後、病院の一階にあるセブンイレブンでコーヒーを飲んでいた。ふと、首を持ち上げた瞬間に天井がぐるぐる回り、車椅子ごと横転した。セブンイレブンの店員が飛んできて起こしてくれた。さすが病院、ナースもすっとんできた。
突発性難聴による眩暈。その夜は激しい嘔吐に次ぐ嘔吐で眠れず・・・。
携帯電話の着信履歴に気付いたのは数日後のことでした。


Kさんから・・・。
なんとなく嫌な予感がした。
恐れていたこと、心当たりがないわけではない。
Kさんの彼女、昨年9月から癌で入院されていた。
「あと数時間、発見が遅れていたら、手術もできませんでした。癌になったのは残念ですけど、ある意味、彼女は幸運でした」とKさん。


手術が完全に成功したとは言えないが、彼女の生命力は、担当医に「奇跡」と言わせるほいど回復し、周囲の人々は、彼女がこのまま生還できるとさえ思った時期があった・・・と彼は言った。


「先生、私はあとどれくらい、人間として生きられるのですか」
彼女は担当医にそう尋ねたそうです。
「二か月・・・」
昨年の9月の時点だそうです。


彼から、その話を聞かされたのが昨年の12月。
「彼女、安藤さんの日記、読んでます。面白い・・・って。勇気をくれてありがとう・・・って言ってました・・・」
こんなに嬉しい報告はほかにない・・・。


履歴から2〜3回、彼に電話を入れたがつながらない。嫌な予感は募る。
で、ようやくきのう、電話がつながりました。
「安藤さん、彼女ダメでした。亡くなりました・・・」
覚悟していたこととはいえ、心が沈んだ。
「そうでしたか・・・」
「彼女、言ってました。安藤さん、入院ばかりして身体、大丈夫かしら・・・って。退院されたら、食べ物とか気をつけるように伝えてね・・・って。僕にも、同じこと言うんですよ。身体だけは気をつけてって」
言葉が出なかった。


余命宣告されてからも、彼女は生きようと必死になって生きる姿を周囲に見せていた・・・とも彼は語った。


彼女の命日は3月1日。私が車椅子ごと倒れた時刻。


アムウエイの小泉WダイアモンドDDが言う「生きることが仕事」
明石家さんまが言う「生きてるだけでラッキー」
それが正解だと思う。


本日から四柱推命の講義。
夜には、久しぶりに上京された高知大学の脳外科部長の朴先生と会食。夜通しの話になりそうです。


月末に催される彼女のお別れ会で、偲ばせていただきます。
彼女のご冥福を心よりお悔み申し上げます。
享年53歳。