少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2218 悲しみのDear Song/ダニー石尾さんに捧ぐ5


ダニーさんが、亡くなられた原因は、もうすでにマスコミで公表されているから、書いても差し支えないでしょう。
肝硬変と肝細胞癌。大酒呑みだったから、肝硬変はわかるとして、肝臓の治療を一年以上も受け、酒も完全に断ち、数値も回復に向かっていた。
にもかかわらず、昨年暮れの予期せぬ肝臓癌の発覚と同時の余命宣告。寝耳に水。


それでも1月には定期ライブを2度こなし、入院治療をファンに公表。「7月までには完治させてカムバックのライブやるから」と半年間の闘病を決意。復活を誓い、誰もがそれを信じていました。
医師との相談の結果、放射線での治療となり、入院と通院を併用していたとのことですが、通院治療中の深夜、自宅で倒れ、運ばれる救急車の中で心肺停止状態になったそうです。


蘇生後のダニーさんは、「救急隊員が心肺停止だ〜とい言ってる声が、しっかり聞こえていたんだよ」と笑いながら見舞客に話されたそうです。
ダニーさんらしいし、ダニーさんを知る人なら、その生命力を納得されることでしょう。
病室では、7月の復活ライブに向けて、ギターの練習もしていたそうです。


♪ 同じ服着た ティーンエイジが
  スクランブルを すれ違ってく
  でもその瞳は ちょっぴり輝いて
  思ったほど 悪くはないよ ♪
(Dear Song より)


振り返るとダニーさんと出会ったのが、今からちょうど20年前。安藤総理34歳、ダニー石尾さん46歳の時。まだ独身の時でした。


そのころ、まだ「Dear Song」は誕生していませんでした。そして、20年の時代を経て、歌詞に出てくる「スクランブル」は渋谷のスクランブル交差点を意味すると思いますが、まさに今、仮面ライダー1号が渋谷の女子高生となり、歌詞に登場する「ティーンエイジ」のひとりとなりました。
仮面ライダー1号が誕生した日、ダニーさんと音楽仲間の濱田金吾さんから、お祝いにと、その年に製造されたワインをいただきました。
「では、仮面ライダー1号が二十歳になった時に、みんなでこのワインをいただきましょう。それまで寝かせておきます」と約束したことをダニーさんは、覚えていてくれたでしょうか?
1997年製。まだ17年17歳。寝かせすぎて、渋くなり過ぎたって、一緒に祝ってもらいたかったなあ・・・。


一週間前の今日、今の時刻なら、まだ、ダニーさんは、この世に存在されていました。
今週末、「Dear Song」の作詞作曲者の濱田金吾さんは、都内でライブがあるそうですが、「なんだか力が抜けちゃって」と、まだ曲目も決めていないそうです。私もチケットが入手できれば行かせていただきます。ぜひ「Dear Song」を唄ってください。


つづく