少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2300 備蓄してますか〜?

9月1日防災の日
備蓄してますか〜?
誕生日報告日記は後日書きますが、まずは備蓄です。
安藤総理は、毎年、この日に必ず、備蓄をチェックするのです。
グワッシ、とりあえず1リットルペットボトル10本にアムウエイの浄水器の水を入れる。肝心なのは、水を入れた日付を書く事。古いものも、それなりに使えるので、捨てずに備蓄。まずは飲料用を確保。

玄関付近と軒下に置く。

缶詰は、新しいのを買ったら、古いのと交換。缶切りの要らないフルトップタイプのやつね。あと、携帯トイレも人数分。1パック300円程度だから、少し多めに。トイパーも忘れずにね。


「そんなもん用意したって、いざって時に持っていかれなきゃ意味ないじゃん」と冷ややかな人も多数いますが、それはあくまで、二次的なものでしょ。
ここまでやってダメなら、それも運命。でもね、ほんのちょっとの心配りが生死を分けることだってたくさんあるんです。
自分たちじゃなくても、誰かの生命が救えれば、それは価値のあることだし。


大正12年、9月1日。関東大震災のため、自宅は全焼し、夫と共に、着の身着のままで、位牌と飲料水を持って避難し、皇居前で不安な一夜を明かしたのち・・・」
これは、亡き父が、祖母のアルバムに記した文です。

ばあちゃんは、文京区小石川の産まれで、雑司ヶ谷のじいちゃんと結婚し、日本橋小伝馬町に居を構え、じいちゃんと輸入薬品の販売をしていました。
そこへ関東大震災。すべてを失いました。


でも、3年後の大正15年には親父を産んで、その2年後には新宿矢来町の写真館で、こんな写真も撮れるようになったので、復興は着々と進んだと思われます。


写真は昭和20年、終戦直後の9月。ばあちゃんが、総理と同じ年の55歳。よく、こんな写真が撮れたなあと思う。親父は二十歳で、早稲田の学生。終戦があと一か月遅ければ学徒出陣要員でした。
親父の文中から。
「遂に昭和20年4月18日の東京大空襲のため家屋は全焼したが、幸い、家族や借家の人々に死傷者はなかった。
羅災後、故人(祖母)は夫と共に山梨県上野原町にいったん疎開したのち、終戦に伴って再び帰京した。住宅難、食糧難の東京で、夫は専ら心の糧を求めて、短歌に精進したが、故人は家族の食糧の確保に苦労した」
ドキッとくる写実というか、事実。
なんだか怖いくらい、いろいろと受け継いでるような気がします。


夜、1980年代のアメリカ映画「大地震」をDVDで観ました。
映画の中で警察官に助けを求める市民に、警察官が言いました。
「警察官も大勢死んでいる。人に頼るな。自分でやれ」
実際に、未曾有の震災が起これば、そうなると思います。
まずは、最低限、自分たちでできる備蓄や防災グッズは揃えましょう。
本当に、ヤバいっすよ。