2411 池鯉鮒39
2015/3/5 FB投稿記事
池鯉鮒=ちりふ、と読みます。
東海道53次、39番目の宿場町。
東海道の話。徳川家康のお膝元、岡崎城を中心に、江戸から来ると藤川宿場町があり。岡崎を通過すると、途中に宇頭茶屋という休憩場がある。現在の名鉄本線では宇頭という駅だが、宇頭茶屋という地名は今も残る。
そして、我が遷都先の今村(現・新安城)を抜けると、牛田(名鉄本線・牛田=うしだ)がある、読んで字のごとく、田んぼを牛が耕していた。
そして、そこを過ぎると池鯉鮒宿場町。藤川ー池鯉鮒間。土地勘があるので、確かに一日かけて歩くにはちょうどいい距離、脚さえ痛くなければ歩ける。宇頭茶屋もちょうどいい休憩箇所にある。
池鯉鮒は馬の市馬、つまり馬の売買で栄えた宿場町。そのためだろうか、今村(新安城)と宇頭の間の東海道沿線に「馬捨」という地名が今も残る。これも牛田と同じく読んで字のごとし、馬の捨て場所だと思う。
また、今村と池鯉鮒の中間の東海道には無量寿寺という寺がある。地元の人は、この寺をカキツバタと呼ぶ。藤原業平が京から江戸へ向かう際に立ち寄り、業平を思慕する杜若姫が跡を追ったが、業平に会えず、悲しみの果てに、池に入水して命を絶ったとい伝説がある。資料別記。
池鯉鮒は現在の知立(ちりゅう)市。国道1号線沿いにある藤田屋の大あんまきが名物なので、別名、あんまき市と呼ばれている。
(ここまで追記。以下、FB記事転載)
知立市国1沿いの大衆食堂・藤田屋さんであんかけ焼きそば560円。これに90円足すと点心3点セットと大盛りライスと味噌汁付き。ここで食すのが至福のひとときです。
知立市は東海道39番目の宿場町で松並木は当時のまま健在。
あんまき高校時代、私の3つ目の登校ルートです。業平橋は藤原業平が渡った際に命名。私の住む世田谷にも(正確には渋谷区大山町)にも同じ理由で同名の橋跡があります。
以上
以下、無量寿寺についての資料コピペ。
無量寿寺とは各地に存在する仏教の寺院名であり、無量寿とは量りきれない寿命の意で、阿弥陀如来の意訳であるという。関東地方に多く、茨城県鉾田市の浄土真宗本願寺派の寺院、栃木県真岡市の天台宗の寺院、埼玉県川越市の天台宗の寺院が、また岡山県岡山市には念仏宗の寺院が現存する。
愛知県知立市にある無量寿寺は、臨済宗妙心寺派の寺院。山号は八橋山。寺伝によれば、慶雲元年(704年)、慶雲寺として創建され、弘仁12年(822年)密円が現在地に移転させ、真言宗の無量寿寺として整備された。文化9年(1812年)方巌売茶(ほうがん ばいさ)翁により再建が行われ、杜若庭園もこの時完成した。境内にカキツバタを配した煎茶式庭園が造られ、境内には業平竹や杜若姫の供養塔などもあり、在原業平とのかかわりが深いことをしのばせる。寺の「杜若庭園」は,江戸時代中期の特色を示す庭園である。回遊式(1〜4段)になっていて花を見ながら庭を楽しむことができる。本堂は大正2年焼失後、大正6年に再興されている。
「から衣 きつつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」、『古今和歌集』『伊勢物語』に登場する在原業平の歌である。平安の歌人、在原業平が東下りの折に「かきつばた」の5文字を句頭にいれて歌を詠んだ八橋は、伊勢物語の昔から広く知られるかきつばたの名勝地であった。特に、無量寿寺の庭園は「心」という文字を形どった「心字池、玉川庭」の様式をよく残した見事なもので、5月に庭園内の池一面にかきつばたの咲き揃った景観に魅了された。
庭園内には、在原業平を追って想い叶わずに自殺したという小野篁の娘杜若姫を祀る供養塔が、また荻生徂徠の弟子が在原業平の逸話を書き付けたという亀甲碑(八橋古碑)がある。
無量寿寺の横には、日吉山王社という神社が建てられていて興味深い。慶雲元年(704)無量寿寺の創建に際し、山門鎮護の神として日吉山王宮より勧請したという。