2455 警察病院記5
4/23-17 FB投稿
この脚のことで、私は渡り患者。
新宿国鉄病院、日赤広尾病院、横浜たそがれ病院、下北沢病院、中国祈福病院、そしてNY他、数カ所の個人医院を渡り歩く。
その中でも、特に三宿の軍人病院(自衛隊中央病院)とここ、警察病院(旧陸軍中野学校=跡地)には、いささかのご縁を感じます。
安藤忠義は私のひいおじいさんです。ネットの経歴を引用します。=1854-1920 明治-大正時代のフランス語学者。
安政元年生まれ。外務省にはいり,外交文書,フランスの各種法典の翻訳にたずさわる。のち陸軍大学校教授,早大教授などを歴任した。レジオン-ドヌール勲章受章。大正9年6月1日死去。67歳。江戸出身。外務省翻訳局付属学校卒。著作に「新式仏語文法」。
家にある家系図みたいなものにも陸軍大学教授とありました。当時の軍隊はフランスから武器を輸入したり、フランスの戦法を取り入れたとのことで、フランス語に需要があったそうです。
で、おじいさんは三宿の陸軍学校(医学)と中野(兵法)にも出向いていたそうです。当時の家は神楽坂か雑司ヶ谷でした。
おじいさんとは会ったことがありませんが、およそ100年の時空を超え、100年前に自身のDNAの源がこの同じ地にいたことを想像というか、実感できるという体験はままあることではありません。
縁(えにし)を感じます。いつどうなっても、理学的におかしくないこの身が、なんとか持ち堪えているのも祖先のみなさまのお護りをひしひしと感じております。
自宅に戻りましたら、お仏壇に日本酒とボタ餅を供えますので、どうか効く痛み止めをもらってやってください。
本日も ついてる 感謝してます。