2859 敗者の哲学
スポーツライターとしての私の哲学。
「敗者を美化しても、肯定してはいけない」
たとえば昨日の日本シリーズとラグビーテストマッチ(国際公式戦)。
最後はアウトのタイミングの返球が、アンツーカー(人工土)と人工芝の窪みにはまりあり得ない角度でイレギュラー。もう一度同じところに投げろと言われても二度と投げれない位置。
ダイレクトで投げるより、ワンバウンドで投げるのが正解だから、これは外野手にも捕手にも過失はない。
あるとすれば、8回のバックホーム判断ミス。敗因はそれしかない。
しかし、散り際は美しい劇的。
阪神との泥中試合、ベイスターズは阪神園芸さんや、阪神、カープの想いを背負いながら戦う姿勢がよく伝わった、負けても美しい。
一方、ラグビー日本代表、オーストラリア戦。
63-30を大敗と捉えるか「よう頑張った。19年が楽しみ」と捉えるか?ラグビーファンに水を差す。
本日のTBSサンモニ関口宏。
曰く「なんか見てると軽く弾き飛ばされてる感じ」
曰く「体格もスピードもぜんぜん違う」
曰く「日本はまだまだ外国人に頼らなくてはいけないのかな?」
これが、ごくごく一般的な人の反応だと思います。
ましてや、番組司会者にして、この程度の認識。
関口宏を非難するのではなく、ラグビーは日本では、まだまだクローズドなマーケットであるという証。いくら、入場者数の記録を作ったと言っても、上野のパンダ同様で見る機会が少ないからというだけの話。
本当に人気があるなら、トップリーグのあのガラガラスタンドはいったいどういうことよ?という話になる。
解説の大畑サン、関口宏との問答に苦しそうにしてたけど、よくわかる、見ていて痛々しい。
ラグビーは格闘技。ウエイト、リーチの大差は致命的。
相撲だってモンゴル勢が圧倒でしょ。
日本は単一民族で遺伝的混合、いわゆるハイブリッドがないのだから、農耕民族が狩猟民族に対して狩猟的スポーツで勝つこと自体にそもそも無理がある。
日本人のプレーヤーがトレーニングを怠っているとは到底思えない。
むしろ、オーストラリアの選手より、真剣かも知れない。
その努力は否定しないけど、結果を肯定する理は公平な第三者としては持つ目はない。
従って、彼らが自らの意思で、ハンデを承知でチャレンジした結果に対し、無条件で拍手を送り美辞麗句を並べるのは、スポーツジャーナリズムとしての精神から逸れる行為だと私は判断する。
関口宏の何気ない本音は実はとても重い。
協会がその思いを真摯に受け止めるとは到底思えない。
スタジアムの興奮だけに満足して祝杯をあげる愚行だけが目に浮かぶ。