3022 合格電報・山本サン
2/26-18
FBFのみなさま、おはようございます。
いよいよ、この明け方の東京を見ながらの投稿も、残すところ、今日と明日の2回となりました。
2013年の今日、2/25日、早稲田の酔狂伝こと、山本正則さんと、FBを通じて再開したと。今朝のFBFニュースが届きましたので、今朝は山本正則さんとの出会いから始まる私の東京です。
そうですね、まさしく40年前の今日、18歳の僕は東京にいました。親父がとってくれた両国のパールホテルです。のちにこのホテルが赤ヘル軍団広島カープの東京寄宿舎と知りました。
総武線で飯田橋に出て東西線で早稲田へ。多分、そんな経路だったと思います。都の西北まで行き、商学部、教育学部、一文二文、社学を受けるわけですよ。ラグビー部のセレクションでお眼鏡に掛かった人は、教育学部の試験で20〜30点もらえるそうで、それを目当てに東伏見まで、暮れに肉体のみを鍛えて行ったわけですが、100人を越す猛者どもが全国から集まるわけで、愛知の田舎侍としては、顔の良さで勝負するしかないと思いました。
当時の田舎侍、明治では絶対に通用しません。早稲田ならサイズ的にチャンスがあると思ったわけですよ。
戦後育ちの僕らの時代でも、受験生は、ほとんどが私服でした。僕はというと、詰襟の学ランに下駄履きでした。
すると速攻で「早稲田大学精神高揚会」の学ランの人たちに取り囲まれ「チミこそ、我が早稲田大学が必要としている逸材だ。ささ乗りたまえ」とチャリの荷台に乗せていただき、試験会場まで搬送。おまけに「稲穂」屋さん特製の「合格祈願稲荷寿し」をもたせてくれました。さらに合格祈願万歳三唱。富所さんという、リーダーの方から「チミ、ぜひ、これを読みたまえ」と渡されたのが「柔狭伝」3冊です。これがバロン吉元先生との出会いでした。
で、試験が終わり、正門から出て、大隈講堂を見上げました。
「これで、いよいよ俺も四月から、この街で世話になるのか。よろしくな、大隈講堂」とご挨拶していると、講堂前の段差に気怠く、腰掛けて、タバコふかしながら、僕においでおいでする奇妙なおじさんがいました。
僕ですか?と自分の鼻を指でさすと、おじさんは、やはり無言でおいでおいでを繰り返します。
で、行くと
「チミ、受験生?合格電報とか予約した?」
「いえ、自分で見に来ますから」
「あ、そう。ま、いいからいいから、ここに住所と電話番号書きな。チミ、絶対に合格してるから大丈夫だよ。何学部受けたの?あ、そう。じゃ、千円ね」
私は言われるままに千円を渡してしまいました。
その電報がなくとも、合格者には大学から通知が来ることをあとで知り、新手の詐欺であることに気づいたのです。
おじさんは、もそっと立ち「ついておいで」と言い、僕をなんやよう知らん、学生たちの輪に案内しました。
おじさんが輪に入ると、ざわざわしていた学生たちの私語が収まり、なんや緊張した空気が流れました。
「あ、みんな、この子、4月からうちのサークルに来るから。えっと、名前、なんだっけ?」
「あ、アンドーです」
「そうそう、アンドーくん、アンドーくん、どっかの田舎から来た子だから、みんなで面倒みるように」
そらもう、学生たちから握手攻めでした。
「あの、おじさん、これは何の宗教ですかね?」
「あ、うん、こりゃね、早稲田大学ケン玉研究会っつうのよ」
「ケン玉っすか?」
「そうケン玉」
あいや〜おれはケン玉じゃなくてラグビー部に・・・
「じゃあ、みんな、行くか〜」
「お〜〜〜!」
という掛け声で集団はゾロ歩きで、早稲田通りを高田馬場へ。庄屋という居酒屋で、なんやようしらん、追い出しコンパとやら。その中に、なんやようしらん、わけのわからん受験生の僕がいて、全メンバーの前で再びおじさんが「え〜〜みんな〜〜、この子は四月から、うちのサークルに、えっと、名前何だっけ?」という感じでやるわけです。
自分、もうすっかり、早稲田の学生ですよね。
酒池肉林。
酒だけではないですよ。色仕掛け、ハニー接待も受けました。
40年前のことですが、昨日のように覚えています。
のちにNHKのキャスターになられた釧路出身の岡◯淑江さん。大手広告会社に就職された大田区出身の◯島恵美子さん。一歳年上で山口県防府市出身の生◯陽子さん。そらまあ、それはそれは見事な美人さんですわ。化粧も決めてるし。女優さんかと。
かたや田舎の高校生。夏のセーラー服から透けて見えるブラジャーの線を見ただけで発情する青年にとって、初めて至近距離で見るオ・ト・ナのオンナ。大学生になると、毎日、こんな夢のような世界がおとずれるのかね? 太田裕美の木綿のハンカチーフじゃんか。
結局、その夜は二次会、三次会、そして四次回は東中野にあるメンバーのボロアパート四畳半に酒を持ち込んで7人プラス1人。プラス1人は僕ではなく、東中野のプラットホームで泥酔して寝ていた身長185センチくらいある見ず知らずの青年。トレンチコートにスズメの巣みたいに爆発したヘアスタイル。田舎にはいないいでたち。
おじさんが「そいつも、かわいそうだから運んでやんな」という一言で、僕と亀と呼ばれる使い走りが交互で担ぐ。
いかんせん狭い部屋。7人は体育座りしてレッドを回し飲む。トレンチコートは正体がないので玄関に放置。背が高すぎてドアが閉まらず、二つ折りにしようという提案で、僕と亀が頑張るも、こいつ身体硬すぎ。結局、ドア開けたまま、皆、酔いつぶれて、折り重なり雑魚寝。
明け方、新聞配達がその惨状をみて、集団ガス中毒と思い、警察に通報・・・というのは私の脚色ですが、それ以外は実話。
僕は淑江さんの、あの香水の匂いが忘れられず、それでも野郎臭と、野郎の海の中で深い眠りに落ち、遅い午後に目覚めると、隣に亀の顔が。スズメの巣は消えていた。
つづく
ps 午前5時の東京。ここから東中野が見えます。
40年前もこの暗さ、この寒さの中にいたんだな。
真ん中の写真はすでに学生寮と化した僕の部屋。