少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

3034 壺屋の駅弁

3/14-18

世の中の悲しい出来事のひとつにシャリ問題というのがある。

ヒル男のロマンとは、そうたやすく語るものではないが、例えば駅弁問題。汽車に乗り、しばしの睡眠を貪るのも、新聞週刊誌に目を通すも、ましてや読書などの無粋は、大人の男がやることではない。

成熟した大人の男の嗜みとは、流れ行く車窓を友に、駅弁をひとり楽しむものである。
進行方向に見える富士という未来が、やがて現在と重なり、そして動かぬ山は過去となり、後方へ消える。これすなわち宇宙の法則、3次元の成り立ち。男というものは、常にそう考えながら、駅弁のフタをそっと開ける。

パッケージに翻弄されてはならないが、ロマンのないパッケージにステータスはない。この持論が正しいかどうか、あえて本日は実験に踏み切った。金欠ゆえ、最安値780円の幕の内にしたと誤解されぬように。

ご覧のように780円という金額に対し、特に見劣りはしない。しかも、小ぶりながら豊橋名産、ヤマサのちくわはちゃんと隅に鎮座している、安定した充実感。単なる思い過ごし、パッケージと中身の関連性は単なる杞憂に終わったのか?

が、やはり、データは正直だった。
問題は「シャリ」
見た目ではよくわからないが、「シャリ」こそエースである。
どんなに頑強な4番打者がいたとしても、エースがボールを投げなければプレイ弁当は始まらない。シャリのない弁当は駅弁に非ず。おととい来やがれ、の世界。

シャリは確実にあった。
しかし、ベチャシャリだった。いまどき、珍しい。
ベチャシャリはシャリに非ず。これは食さない方が賢明である。捨てるべきか?
否。昨夜のガイアの夜明けを見た。食品捨てるべからず。合意。賛成である。食品廃棄問題。これには深い訳がある。日本の暗部、いやNYもイタリアも同じ、神お父さん(ゴッドファーザー)が絡んでいるからね。

で、泣きながらシャリ、食しました。悔し泣きです。
米はお百姓さんが、丹精込めて作り上げた作品です。数えきれない自然の工程と奇跡が重なり、その後人手を流通してようやく釜に入れられデビュー戦と同時に引退試合となるセミよりも短い生涯なのです。作り手の技量愛情により美味しくも不味くもなる。米に罪なし人に罪ありです。

このベチャシャリの原因は明らかに、まだ冷め切っていない湯気有りのシャリにビニルフタをかぶせたこと。水滴が物語っています。これはアウトです。

この点について、崎陽軒は満を持しています。
私は、あまりにも崎陽軒が好きなので、電話をして担当者にその秘密を聞きました。
まずは経木ですが、底と天井の素材が違います。底は米松で漏れを適度に防ぎ、天井は高級品の蝦夷松で通気性を重要視します。
お米マイスターの指導のもと、季節による湿気や出荷する土地の気温の上昇変化に合わせ、水分を微調整します。

また、横浜地区と東京地区ではパッケージ内容も違うので(横浜は紙のみ。東京はセロハンパッキング)、ここも水分を調整。
さらに大量に炊かず、小刻みに炊き、蒸れ時間を十分にとる。ざっとこんな秘密です。これは米が喜ぶわ。

選手(米)を大切に扱う日本ハムファイターズがドラフトで大人気で、選手を使い捨てにする中日ドラゴンズが、絶対に行きたくない球団ナンバー1というのと同じですね。

名誉のために書きますが豊橋壺屋さんは老舗で、過去にこのようなトラブルはありませんでした。魔が差したのでしょう。
もちろん新幹線の中から異議を申し立てました。
次回、リベンジさせて欲しいという回答をいただきましたので落着です。

若き頃、「かっこいいスキヤキ」という本に出会いました。孤高のグルメで有名な久住昌之さんの若き日の作品で作画の和泉晴紀さんとの共作で泉昌之ペンネームで「夜行列車」というタイトルで出ています。ニヒルなトレンチコートが夜行列車で駅弁を食べるのですが、その食し方がすなわち輪廻転生。最後に楽しみに残していた、串カツが、実は玉ねぎのフライだったというオチですが、とにかく駅弁とは宇宙観、そして男のロマン

もしも、旅の途中で、車窓で弁当のニヒルを見かけたなら、そっとエールを送ってください。

ps 最近ではとんと見なくなった新幹線でのオサーンの売り子さん。オサーンの憧れの職業です。